御城之口餅。
子供の頃、親父にお使い用に菊屋の御城之口餅を買いに行かされました。
亡くなった親父は大阪人ですが、戦時に疎開していた奈良で進級した関係で、
終戦後大阪に戻っても、郡山の中学、高校に通っていました。
菊屋さんはいまも郡山城の門前にあり、通学していた親父が店に通ってお菓子を食べていたのか、御城之口餅が好きだったのかはわかりません。
実際に親父が食べている様子を見たことがないのです。
菊屋さんは大阪でも有名な和菓子屋さんで、大和郡山のお店とは一族暖簾分けの関係にあります。
御城之口餅は郡山城主・豊臣秀長公が兄・太閤秀吉を招いたお茶会用に、菊屋さんの初代に命じて作らせ、秀吉が絶賛した由緒がありますが、
じつは戦後おとずれた現代につづく市民の茶道・華道ブームを機に豊臣家ゆかりの大阪に出店を決めたのが、大阪の菊屋さんのはじまりなのだそうです。
大阪の和菓子老舗と通り名ですが、意外や最近のことでした。
親父は自分を大学進学させて将来を期待していたはずの祖父をその頃に亡くし、お茶屋を継ぎました。
土日は仕事で、しかもゲコの親父はその後同窓会に参加することもなく、
郡山の地を訪れることはありませんでした。
しかしいつも大事な贈答に御城之口餅を用いたのは親父の故郷や自分の歩む人生みたいなものを、菊屋さんに感じていたのではないかと思います。
今年になってですが、ふと大阪の菊屋の御城之口餅の箱書きを目にして、その書体が親父の字にすごく似ているような気がしています。
単に思い過ごしかも知れませんが。
今年、職場の最寄り駅構内に郡山の菊屋が出店したので、御城之口餅を買い求め、墓前に供えました。
ひかえめな甘さのつぶ餡を極薄の求肥でくるんで、きなこをまぶし、その見栄えから、豊太閤がうぐいすの菓銘を贈った、うぐいす餅の元祖で、
もちろんお茶に最適です。(^^)









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