時間よとまれ。
時間よとまれ、と思うときがあったっていいやん。
どうせ可能性のない、幻みたいなもんやねし。

時間よとまれ、と思うときがあったっていいやん。
どうせ可能性のない、幻みたいなもんやねし。
何もしたいことがない、何も変えたくないのは、きっといま居心地がいいからだ。
ずるずるやってて、ダメになったら、そういう奴は国やら環境のせいにする。
違うんだ。悪くなったのは全部、何もしないできた自分のせいなんだ。
それがおかしいに気づいていたら、やめることだ。
やめた後のことが恐くても。
近道もいつか必ず悪になる。
人間はそんなに器用ではない。
仕事に熱くなれる時期もあれば、熱くなれない時期もある。
それが普通だ。
40歳を迎える頃は、他にもっと輝けるものがあるなんて思いあがりもするだろうけれど。
毎日やってることがつまんなくても、
たとえば土曜日に楽しいことがあれば、頑張れてしまうような、
きっかけがあれば人はまた熱くなれるものだ。
不安で眠れないとき。
チャンピオンだって、明日に防衛戦があれば不安で眠れないはず。
そう思えば誰だって眠れないときはある。
自分だけじゃないとわかると、意外と眠れたりするもんだ。
矢沢永吉、語る。
お水取り、ちゃんとやってまんのか、ほんま!
坊さん、アタマはつきまっせ、もう。
3/7までおこなわれた大阪高島屋の池坊展を見てきました。
華道の展覧会を見ること自体はじめてで、
瀬戸物の花瓶で、剣山をつかって生けたものとしてだけの先入観をもっていましたが、
幾何学なオブジェと組み合わされたもの、風船を使ったもの、
壁掛けにされたもの、思ってももみなかった作品をたくさん見せられて、大変驚きました。
これはもう造形アートというしかありません。
花と組み合わせられた花瓶にしても、オブジェにしても、ありものでは演出できません。
おそらくは、一から制作されたものではないでしょうか。
となると、これらの生け花にとりくまれた先生や生徒さんは
インテリアデザイナーやら、ガーデニングやら、
単に、私が先入観でもっていたような生け花以外の技量を備えておられることが容易に想像できます。
池坊という流派自体も最近、全国の高校生の代表が独創性を競う「花の甲子園」を開催したり、
吉本興業のタレントコースの授業での指導をはじめるなど、
これまでの型を破るような取り組みをはじめています。
伝統というものは、新しいものを否定するのではなくて、
新しいものの積み重ねながら、時代を超越した要素が残されたものです。
当然ながら時代に合わなくなれば見直される、
そのためには新しいものを受け入れなければ伝統は生まれないということです。
ものづくりの基本に立ち返るよい機会となりました。
Excel印刷するときはプレビューで倍率はおろか、セル幅まで調整するのに、
なんでホームページについては何の調整もせんと文句言うクライアントさん多いんでしょうね。(-"-)
でも、僕らもこれから幅900とか1,000pxで作るようになるのに、説明なしでは済まんのとちゃうか。
早希ちゃんの生け花が出品された高島屋のいけばな展で、
偶然にも従姉たちに会いました。
認知症だったウチの親父が亡くなってすぐの頃から
従姉たちはそれぞれの家庭で、認知症の親御さんの介護に追われています。
話は始終そればっかりでした。
親父の場合は、認知症が認められるようになってまもなく、
不治の病が発覚し、余命宣告されたので、
必然介護生活が終わる時期も明らかだったわけですが、
それでも大概大変でした。
ふたりのそれぞれの親御さんはまだ身体のほうは元気なまんま。
終わりが見えません。
綾戸智恵さんもおっしゃっていますが、
介護する家族の苦労や思いは、悲しいかな体験した者にしか絶対わかりません。
国に期待しても、認知症の本人や、介護家族が安心して暮らせるような制度は
いつまでたっても整うような気がまったくしません。
ましてやいまのような政権政府なんかには微塵も期待できない。
従姉たちには頑張って頂戴と、言うてあげることしかできませんでした。
「関どコ猛虎会。」のレンガの敷設メンバー証明書が届きました。(^^)
生バナーつけて待ち合わせ、に使ってください。
観戦のたびに同伴者に披露して自慢してください。
ついでに不肖shinchayaのレンガもあります。
お暇とご関心がございましたら、見つけてくださいまし。
クローゼットのユニクロ比率があがる昨今、
着るものに華やかなものが増えることになるなら、うれしいなぁ。
いちおう服の趣味だけで会社に就職できた過去ある僕。
悲しい時代になってますわ。
はよ景気ようなってや。
招待状なしの一般開放。
もうおしまいです。
クラウドが何なのかさっぱりわからへんけど、
Web2.0は終わったらしい。
言うなればネット文化も、成熟期にはいったという感じだろうか。
生活にネットがあたりまえになって、新しい技術になんでもかんでも、そうはもの珍しさも感じなくなった。
Webのデザインでいうと、たとえば「アクア」とよばれた、透明でキラッとしたボタンやバナーなどはもう流行らない。
ここ最近は枠なら線だけのような、一見単純にも思えるシンプルなデザインが流行りだ。
画像化しなくても、アンチエリアスのかかったようなものやら、まるい感じやら、
キレイなテキストが見られるOSやブラウザが増えたせいもある。
ところでしかし、単純に枠や線でデザインすればいいものができるわけでもない。
個人的見解であるかも知れないけれど、じつはパーツのひとつひとつを影やら、盛り上げやら、
それこそアクア並みに、あるいは昔の制作ではそうしたように、
ソフトまかせでつくらず、丁寧に手をいれたもので「シンプル」を構成していかないと、いいものにはならないようだ。
「シンプル」と称されるものは、どんなものもストレートに本質を伝えるもので、
僕らの資質もまともに問われるのだ。
font-sizeをパーセンテージで指定して構築を開始するのはともかく、
あとから部分的なfont-sizeのパーセンテージ指定はあんまりよくない感じ。
あちこちパーセント設定しながら構築を進めるのは、
いくら頭のいいコーダーでもだんだん基準がわからんようになってくるし、
僕なんか、あほやよってに、まあ無理。
だいたいが、「比率」で決めるなんてええかげんな話やし、
見る人がどのブラウザで、どのフォントで、どんなサイズで見るかなんて
わかったもんではない。windowsとMacでも異なる。
一番困ったことに、最近わかったことではパソコンモニター個々でも
ちょっと違った見え方をしてしまうのに気づいた。
ここまできてしもたらどうしようもないわね。
ユーザビリティ的には文字サイズ固定はよろしくないが、
そのへんはにらみにらみ最小限にとどめながら、注意してつくっていくしかない。
破けてたからズボン新調したのに、
また破いてもうてるわ。(T_T)
いろんな意味でイタい。
「どないしはったんですか?喧嘩ですか?」
いや、そんなんと違て。
「ボクシングかなんか始めたんですか?」
プロちゃうねから、ガードはするやろ。
いや、あの、肌が弱いだけやねん。
・・・あかん、まさかこけたとは言えん。
昼飯買いに行く道で、駆け足しようとして、
訳もわからず、見事にこけた。
顔打って、あちこち傷った。額から血ぃ・・・
メガネもツルも曲がったけど、
レンズは傷ひとつないし、メガネしてたおかげで
まだこの程度の傷で済んだ感じ。
この歳で、情けなくてめっちゃ凹みました。
仕事は結果やとか、成果主義やとかおっしゃいますが、
方法を心得ていて、ぱぱっと出来たことも、
ああじゃこうじゃ、うんうん唸って、
悩んで、試してやっとこさ出来たことも、
「できるやん」
と一言でかたづけられるのに
なんかめっちゃ抵抗ありますわ。( ̄^ ̄)
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