2010年、寅「さくらぁ。」 Feed

2010年10月18日 (月)

壁の正体。

もはや技量ではない。
スタミナがない、知恵がない、
それより、何にも優る精神力がタイガースには足りない。

2010年9月 5日 (日)

正捕手。

優勝を争うチームは、投手王国、豪腕または豪打のような明らかな特徴よりも、
正捕手の存在がある。

タイガースも低迷した時期は軸となった捕手が見当たらない。

土井垣、山本、田淵、
ではなくて辻恭彦か。

そして、矢野。

過去2回の優勝は矢野なくしてはありえない。
野村克也に出会ったこともきっと大きかったろう。

大阪人らしい饒舌な感じも魅力的だった。
甲子園のお立ち台をいまのように待ち遠しくしてくれたのは、矢野かも知れない。

春から解説でまずは軽快な矢野節が聴けることになるのだろうか。
でも、遠からず彼を後継する捕手を育て上げる指導者として、またグラウンドに、
願わくば甲子園に還ってきてほしい。

おおきに、矢野やん。

2010年7月27日 (火)

オールドユニホームシリーズ。

親父が子供の頃、じいちゃんに連れられて、日本橋にあった家から大阪球場へ、
「正月野球」なるのを観に行って、
そのときのタイガースが、真っ黒けのユニフォームを着ていたと、
生前よく言っていた。

親父と観に行きたかったよ。今回の企画。
めちゃめちゃ喜んだやろな。

棺に、真っ黒けユニフォームを模した企画のTシャツを入れてやったのも思い出した。



球団より年上のタイガースファンの御大はみんな無料観戦にしたげたらええのに。

2010年5月20日 (木)

やきゅうのおべべ。2010。

ことしのオリックスは、BlueWaveのユニフォームを復刻して、
本拠地大阪固定化で、失いそうな神戸のファンの維持を図られるようである。

「オリックス」の自前のユニフォームの復刻なので、手がけ易いねやろな。

阪急ファンを裏切る形で西宮から神戸へ移転した経緯や、
まだ最近過ぎて、近鉄のユニフォームの復刻には、
「近鉄ファン」への心情に配慮して難しかったということやろかいな。

オリックスは来年くらいにもBuffaloesの名称をお蔵入りさせるとか言うてるし、
一回、いろいろキレイにしたほうがええのかもな。

ところで、ライオンズは今年はなんと「太平洋クラブ」時代のユニフォームを復刻、着用するらしい。
あかんかった時代にもちゃんと向き合って、
ライオンズの歴史をトータルに大事にするということで、なかなか見上げたものやけれど、
所沢に来るまでの歴史に一切触れてこなかったこの球団会社の心を誰が入れ替えさせたのやろかなぁ。

ウチらの輝流ライン、どの選手もごっつく見えますよね。悪く言えばデブっちく。
リアルタイムで覚えているせいかなぁ。

中継見てて、昔の振り返りビデオみてる感覚がずっとしてる。

一回目の吉田監督で、讀賣とシーズン最後に5連戦して優勝争いしたこともあるユニフォームやけど、
後藤のクマさんで球団史上初の最下位に堕ちたのも、
放り出される江夏・田淵が最後に着たのもこのユニフォームで、
僕は後者のイメージが強くて、ただ趣味が悪いデザイン以上に、やっぱし嫌やわ。

2010年4月18日 (日)

無敵の勇気。

僕は金本をアニキとは呼ばん。

当たり前じゃ。僕のほうが年上やからや。

怪我しても何しても休まんと続けるのはほんまに偉業やけど、
チームのために大きな記録をなげた勇気はもっと凄いことや。

まともな返球でけへんで恥かいて辛かったやろなぁ。

記録よりも金本には一日でも長くスタメンの選手でいてくれることを僕は望んでる。

そのことが金本より年上の身分としては、
さあ、明日も頑張ろう、負けとれんと思わせてくれるからや。        
養生して、まだまだ走ってくれなあかんで、金本。

2010年3月14日 (日)

サポーターの愛。

引き分けの結果で、選手にブーイングするガンバサポと、
拍手でねぎらいの声をかけるセレッソサポの、
どっちが正しい愛情表現なのかはわからないけれど、
37,000余人の雑踏のなか、
僕が落とした定期券ケースが、すんなりと無傷で案内所に届いていて、
いずれかのサポーターさんが施された愛に驚嘆するほど感動しました。
何不自由なく普通に帰路につけたんですよ。(T▽T)

ほんまに、おおきに、ありがとうございました!

きょうは長居を選んでよかったよ。
ものすごい安堵と幸せ。

2010年3月13日 (土)

不愉快なやつ。

おととしまでMCやってた番組で、セレッソ応援企画があった、たむらけんじ。

本人はもともとガンバサポやったのかどうかはどうでもええ。
ムカつくのはこいつのそういう無神経さ。

2010年2月 6日 (土)

2010年 新ユニフォーム。

ことしJ1で闘うセレッソが、新しいユニフォームになりました。
「胸番号」がおなかのところから、イマドキ風に右の胸の高いところに移動したタイプ。

どうなんかなあ、もうかっこええのか、かっこわるいのか、ようわかりません。
そんな変わりばえした印象もないし。

タイガースは左袖のbozoトラさんが、周年の記念エンブレムになったのと、
ビジターの帽子がグレ黒から、ひとつ前のモデルの黒帽子つば先ラインに戻ってます。
皆、クローゼットにないないしてはったら、出してきなはれや。

久々に復活する、ガンバ大阪との「大阪ダービー」は、
ことしは久々にホーム&アウェイとも、OPEN戦を含めた甲子園開催の
「阪神vs讀賣」にぶっつけてきます!

初期の「大阪ダービー」は、毎年そうだったんですけどね。
初心に還って、セレッソ、ガンバとも気合入ったがりますわ。
セレッソも降格したときとはまったく世代交代して、新しいサッカースタイルになって、
ことしはガンバさんからやら、ようけ選手譲ってもうて、
「大阪ダービー」は過去にはなく、ええ競り合いになるのとちゃうかなぁという
そんな気がしています。
いや、過去になくその可能性は強く覚えます。

8月からサッカースタジアム化して新装する「長居球技場」にホームを移すし、
セレサポとしては楽しみがいっぱいです。

2010年1月18日 (月)

運命の打倒讀賣。

輝流ラインの頃の阪神は、讀賣との死闘を繰り広げた70年代戦士が
旬を過ぎ、相撲部屋とまで揶揄されていましたが、
田淵が放出され、ブレイザー監督のもと、真弓・若菜らを迎え、
スリムでオトコマエな阪神に生まれ変わります。
ギザギザのラインを一掃したスマートな黄黒のユニフォームで
新たな出発をしたわけですが、
あのユニフォームが一番似合っていたのは小林繁でした。

小林が輝流ラインを着ているのは、江川事件で緊急参加になった
安芸キャンプの映像で、新ユニフォームが準備中のわずかな期間で、
公式戦では着用していません。

江夏と交換で南海からやってきた江本には、
江夏のような打倒讀賣のカラーはあるわけ無いし、
田淵がいなくなって、さらに讀賣へのアンチテーゼが薄くなるところに、
小林はこれを再燃させるに余りある存在でした。

小林は後年、「あんなに巨人戦ばっかし先発させなくたっていいのに(笑)」と
語っていましたが、観ている僕らの心は躍り、
負け知らずのマウンドに惚れ惚れしていました。

小林の真似で明石家さんまも、芸能界でのし上がるきっかけをつかみました。

当然ながらライバル関係にされた江川との投げ合いに
とうとう黒星がついたあとは燃え尽きたように勢いを失い、
小林は引退しました。

小林はタイガースでの晩年、縞の帽子も被りましたが、
これはちっとも似合ってなかった。

日本一の85年も、弱っちい90年代も、
どっちの意味でも「打倒讀賣」に値しなかったタイガースにこそ
まさに小林は似合わない存在だったんでしょうね。

引退されてからは、讀賣にも阪神にも距離をおかれ、
どちらのOBでもあり、そうでないような孤高なスタンスでおられたのが印象的でした。
まあ、仕方ないですけど。
それだけに、梨田さんのもとで近鉄や日本ハムで
現場復帰の機会を得られたことがよかったなあ、と思っていました。

急逝で、残念ですが、ありがとう、小林さん。
細い腕で、汗を飛ばし、渾身のサイドスローで讀賣打線を封じ込めるあのマウンド、
忘れません。

追伸。
そういえば、小林て、藤圭子との熱愛が噂されたことがあったよなあ。
結ばれてたら宇多田ヒカルは生まれてなかったんやね。

2010年1月15日 (金)

とうとう輝流ラインの復刻かいな。

ビジターは江夏、ホームは田淵の、阪神最後のユニフォーム。
ホームの左袖にトラが付いて、OSAKAの文字が消えて、
タイガースが全国区づらしはじめた、大阪人としては残念なユニフォーム。

シーズン終盤に讀賣と5連戦で覇権争いもしたことあるけど、
はじめて最下位に沈んだときのユニフォーム。

輝流ラインは、確か大阪万博のマークとおんなじひとがデザインして、
モントリオールオリンピックのバレーボール男子のユニにも大柄なラインで配されてたはず。

デサントのデザインやけど、SSKがぱちもんつくって、
それが阪神応援団の黄ジャージのそれで、唯一、本家もないのに、生き残ってる。

でも、なにはともあれ、僕は輝流ラインが嫌いなんですわ。

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