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2011年8月

2011年8月20日 (土)

えぬ・えむ・びーにまつわるお題、その2。

「ぷっちょ」の企画シリーズ商品のおまけで、
AKBのメンバーをデフォルメした「AKBちょ」にNMBのみるきー・渡辺さんが追加されたので、

仕事帰りについ数箱、ぷっちょを買いました。

でも、そうそう期待どおりにいくまでもなく、
AKBのほとんどよく知らないメンバーばかりが手元に残りました。

ネットで調べてみると、「AKBちょ」のコレクターどうしの交換場所がいくつもあり、
mixiのなかにもあって、

交換を求める声のなかに、
僕が持ってるこのよく知らないメンバーを熱望していて、
先方の提供にこちらの希望の渡辺さんをあげているひとが数名いたので、
声掛けしあって、等価交換が成立しました。

驚いたのは今回の交換相手の3人全員が女性だったこと。
そのなかには小学生の女の子も混じっていて、
AKBというグループがオタクな男どものアイドルだけではなく、
女性のかたにも支持され、女の子たちの憧れであることに、
このAKBとその傘下グループの凄さをあらためて感じました。


さて、交換はそれぞれ順調にすすんだのですが、
そのうちの1人がこちらからの現物を受け取っているにもかかわらず、
いっこうにこちらに交換品を送ってくる様子がない。

しかし当人はmixiで日記を継続している。

mixiのメッセージ機能で、状況について質問したが、
これにもいっこうに応えることもなく、その日以降も日記を書いている。

少し気は引けたが背に腹換えられず、
可能だったので日記のコメントに回答を求める旨の内容を書いたら、
次の日、アクセス制限をかけられました。


ご推察のとおり、すでに僕の手元には希望のおまけが2つもあったので、
あとひとつが無くて困ることでもなかったのですが、さすがに不愉快極まりなく、

しょせん、どうも学生のようで、これは見逃して
いつか良心の呵責にさいなまれてくれればよいかとも思ったのですが、

この子が常習か、あるいはこれに気をよくして常習になるのも許しがたく、
法的な制裁の可能性の示唆で社会勉強してもらおうと、内容証明郵便を送りつけました。

郵便局未配達保管の期限が迫っていたとき、
ようやく先方の受領の報告が届き、翌日現物が僕のもとに届きました。


内容証明郵便は相手と自分と発郵便局保管分の3通の内容書面の作成と、
書留配達を絡めるのが慣例で、そんなこんなで千円ちょっとかかってしまい、
ずいぶん高くつく交換になってしまいました。


今回は相手の住所がわかっていたこと、
そこに本人の実在の可能性が高かったので幸い現物を手に入れることに至りましたが

たとえばネットオークションで落札して先に支払い振込は当たり前だし、
交換ならこちらが先に現物を送ることは普通にあるので、

相手が金銭や現物を取得した時点で、ドロンパされる可能性がないかといえば、それは十分ありうる話なんですよね。

もちろんネットでなくても、
実在する相手を目の前にしないで取引することの危険さをあらためて考えさせられました。

えぬ・えむ・びーにまつわるお題、その1。

お盆休みの最終日だった16日に、
NMB48劇場の入場チケットがようやくはじめて当選しました。

でも、公演メンバーがあとから発表されて、
一番見たかったみるきーこと渡辺さんの出演はないことがわかって、残念。

でも、人気メンバーのひとりのアカリンこと吉田さんの「生誕祭」という特別な公演で、
彼女を推してるファンでチケットが取れなかったひともたくさんいるだろうに、
なんとも申し訳ない気持ちで、
でも、見ないわけにはいかないので、観衆とともにお祝いさせていただくことにしました。

以前にも書きましたが、10代半ばにしてここまでかと、
レッスンを積んだ磨かれたパフォーマンスは今回も圧巻でした。


すべての演目が終わって、アンコールで、
ケーキの前に立つ、きょうの主役のアカリンに花束が贈られ、
仲の良いメンバーと本人のお母さんからの手紙が読み上げられたあと、

吉田さんが


「毎日お菓子も食べれんくて、お家も帰れんくて、辞めたいと思ったことは何度もあって・・・」


と涙ながらに正直な気持ちをはいたくだりでは、もう僕みたいなおじさん世代は駄目ですね。

「そうか、そうか」とこっちも目の前洪水になってきて、えらいこっちゃでした。o(T^T)o


NMB48ともなると、僕から見れば、
恋愛対象には見えないで、歳の離れた妹か、年齢的には娘でもおかしくなくて、

公演後は出演メンバーとのハイタッチで送迎されるのですが、
どうも昔、子供服屋さんで年下の女性スタッフたちの上に立ってたせいか、
反射的に激励されずにはおれず・・・ヾ( ̄▽ ̄ゞ)


気がついたら「剥がし」スタッフに強制的に押し流されてしまう始末。

(* ̄  ̄)c<|||▽ )


しかし、終始楽しい。
すごく計算されたエンターテイメントですね。

これはまた観に来たくなるのも仕方ないですね。
歳が近いコならたまらんでしょうね。よーできてますわ。


とりあえず、みるきーに送迎される日まで、もう一回は来たいかなあ。

2011年8月13日 (土)

親鸞展、阪神百貨店でやってます。

神様仏様の「役目が終わりました」ってことになったら、

皆さんどうしますか?


科学の進歩で、不可思議の解明が行き尽くす今日さえも、
普段から自力で叶いきれない思いを神仏に託しているひとは決して少なくはないはずです。


ましてや今年のような未曾有の大災害があって、
批判は山ほどあるでしょうが、
さらに政治がまったくで機能してなくて、
その上医療もままならないなんて事態なら、

不安で不安で希望もなくなるでしょう。


じつはそんな時期が源平合戦のあった平安末期にはあったのです。

国政が乱れ、不作で食糧危機にもなり、人々が飢えや病に苦しんでも救いもない。
それは仏教が説くところの末法のとき、つまり仏の教えの有効期限が来たからだと、

そう解釈されていたのです。


そんな時代に両親と離別死別していた9歳の少年は、
煩悩なき悟りの境地を夢みて、比叡山に上がります。
しかし20年の命懸けの苦行を積むものの、煩悩を失うことはないと、
失意して山を下り、京に至ります。


そこで出会った生涯敬い続ける師・法然に出会います。
師は阿弥陀如来は身分善悪の区別なく、
人々みんなを極楽浄土へ迎えてくださる仏様であり、
ただ南無阿弥陀仏とさえ唱えれば、その約束が成されると説き、

師のもとにはいつも貴族も町衆も農民も乞食も、老若男女の人だかりができていました。

その教えには人が煩悩を抱えいても、何も問題視していないのです。

彼は師に入門し、
当時仏門にあってはご法度であった結婚もします。

師弟らは旧来の仏教派から強い迫害を受け、
朝廷にも疎まれ、流刑も経験します。

しかし彼は自らは俗人でも僧でもないと名乗り、
恩赦が成っても師の教えを流刑先の越後から、さらに関東まで伝え歩きます。


そして60になって京に帰り、師の教えを数々の仏典に照らして書にまとめ、
さらに教えを歌に変え、
町衆や農民に教えをわかりやすく、永く親しまれるかたちにまとめます。

また全国の教え子たちと文を交わし、その教えの解釈を都度都度正していくことを欠かしません。

親鸞のおかげで仏教は今日のような、誰にも身近なものになりました。

心配事、願い事、
ちょっと悪いことした思いにナンマイダするようになったのは、
法然、親鸞のおかげです。

人生に何があろうとも末には阿弥陀さまの浄土に行けるんだと、
みんなに生きる希望や勇気を見出だすように説いたのです。

死んで後の幸せを思うのはいまはきっとナンセンスだと笑うひとも多いでしょうが、

悩みや迷いがあることを恥じることはない、
約束された来世があるならばこそ、
思い切って何があろうともかするのも悪くない。

なにかと不安の多いこのご時世、
参考にしてもよいかも知れません。

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