くうねるところ、すむところ。 Feed

2013年6月 9日 (日)

スカを食らう。

私用で出かけたところにケンドーコバヤシのグルメ本に紹介されたという店があったので、
立ち寄って掲載の品をいただいたが、たいしておいしくなかった。

食べログの口コミを見たら、僕だけがそう思っただけではないようだ。

店内には芸能人のサインや紹介されたTV番組のシーンを写真にしたものが壁を埋めている。

貼り出されたものを眺めていると、そもそもこの店のマスターが、もと芸能関係者のようだ。

人脈をつかって、ケンコバやTV局に義理でおいしいと紹介させたんじゃないだろうか。

そうとしか思えない、どこにでもありそうな、なんの変哲もない味だった。

ともかく一度こうして紹介されたら、人寄せの看板メニューができる。

なんで、そもそもケンコバが食を語るに足るひとなんだろうね。

これからは疑いの目で店を見るようになるよ。

2013年4月27日 (土)

グランフロント大阪に行ってきました。

東京ではそれこそ六本木ヒルズから始まって、お台場、
最近は東京駅、東京スカイツリーといったような街規模のゾーン開発は
少なくなくそう珍しいものではないかもしれませんが、
大阪は歴史的に東京よりも先に都市機能を備えた場所で、
地下鉄路線図を見てもわかるように京都と同様に縦横の通りに仕切られた構造になっていて、
(それは豊臣秀吉が大坂城を内裏(御所)に見立てて、北から南ではなく、東から海のある西方向に区画したという話も聞いたことがありますが…だから通りと筋の東西南北が逆?)

 

ゆえに中心街区ほど、キタやミナミ、あべの天王寺など
百貨店や鉄道を中心としたナワバリのような場所はむしろ大きく変えられなくなっていて、
グランフロントは大阪市内過去最大級の目玉開発でした。

 

それだけに大阪市民としても心躍るものがあります。

 

北館はおもに関西系企業や大学の先端技術を紹介するショールーム群と、
住まい、家そのものや家具、生活にかかわる大きめの製品を扱うショップ、
ワインやサントリー直営のウイスキーのミュージアム&ショップ、
近畿大学水産学部研究の鮮魚が食せたりする学究的なお店をはじめとする飲食フロアがありました。

 

Img_0333南館はショップとグルメの集積で関西初出店のお店が大半を占める様相でした。
建物のスケールとモールの華やかさはまさにバブルの頃を思わせる感じで、偶然とはいえアベノミクスのこの時期に相まったのは絶好のタイミング、絶好の追い風になっているような気がします。

 

バブルの頃に学生してて服に興味をもって服飾関係に就職したその頃の気持ちを久々に掻きたてられて、いろいろ買いたいなぁ~という気分にさせられました。
・・・何も買えなくて悔しいけど。

 

またそれぞれのビルの上層はオフィスフロアになっていて、
インターコンチネンタルホテルも招致されています。

 

阪神阪急をはじめ実績のある民間企業によるものはともかく
それ以外の、たとえば大阪ビジネスパークのIMPや官主導の関西空港、
ミナミの中心からそう離れていないクリスタ長堀など、ことごとく、
早々に廃れているし、阪神阪急でも西梅田方面の開発ではほぼ失敗しています。

グランフロント大阪はJR大阪駅の北側。
大阪から梅田を経由して京都や神戸に向かう人たちはやっぱり阪神や阪急を使います。
(近鉄と阪神が連絡して、僕の住むあたりから南のほうの人は神戸方面に行くには梅田へも行かなくなってそうですが)
この電車賃の差、バカにならんのです。

 

魅力ある新街区ですが、そうはいってもいまの物見遊山がおさまれば、
一昨年にここに直結する部分である大阪駅の大規模リニューアルで出店した伊勢丹やルクアも消費者の足が遠のき、阪急百貨店のリニューアル完成でさらに大きな打撃を受けていますし、

ヨドバシのような少し面倒なところにあっても「行かざるを得ない」、
電化製品はここで買うのが当たり前みたいな特異な存在になれるのなら良し、

現地では物販もない大箱のショールーム、多数入居している雑貨店は
とくに景気ありきです。

 

でもショールームでその技術を商材に大きな契約を、
消費者、企業間、さらに海を超えてまとめられる、
そういうビジネスが成り立たなくては大阪も関西も日本も景気は良くならない。

グランフロント大阪は大阪市も関与していますが、
南館はこれまでにはない、魅力的なモールになっていますし、
「百貨店」が銘店をかき集めて商売する時代も終わったようにすら感じます。

 

入居するお店や事業者がみんな頑張って、大阪駅の北側まで人をひきつける、
そういうな場所でありつづけてほしいとは思います。

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2013年1月 4日 (金)

出町妙音弁財天。

弁天さんのお使いは蛇なのだそうで、
巳年の初詣としては弁天さんにもお詣りしておきたいと思い立ち、
下鴨神社に程近い、京都・出町の妙音弁財天神社を訪ねました。

日本では財運の徳が重ねられて、「弁財天」と字が当てられることが多いですが、
本来は才能をつかさどる神様、「弁才天」です。

水の神様で、おそらく泉や滝や川のせせらぎのきらめきや音から、
音楽をはじめ学芸に徳があるとされたのようで、妙音弁財天神社の裏手には
妙音天(弁才天と同一神される)も祀られています。

この弁天様はもともとは貴族・西園寺家の家中で祀られてきたもので、
明治の遷都で、出町にあった西園寺家とともに一度東京に移されたものの、
出町の信徒衆に請われて、この地に弁天様が還されたのだそうです。

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ここ、入口は鳥居があるのだけれど、礼拝するお堂には真言を唱えるよう書いてあるので、
二礼二拍手一礼すべきなのか、合掌礼拝すべきなのか、悩ましいところです。
どっちでもいいみたい。

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お堂の中と外の軒下には近代現代和洋さまざまな蛇の絵や瓦が飾ってあるのが
芸事の神様らしく懐深い感じです。

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妙音天を祀る境内奥の白い六角堂は歳の数だけ周回すれば徳があるというので、

で、≡≡≡ヘ(*--)ノ

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で?。。゛(ノ><)ゝ

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48回まわりました。(_ _;)…

仏教には「四十八願」という言葉もあるらしいし、徳ありそうで。

でもそれなりに、48回も願いごと意識して周回すれば、心に期するものもありました。

頑張りますよ、年男は。

2013年1月 2日 (水)

謹賀新年。2013。

みなさま、新年あけました。
今年も、今年こそ、良い年にしましょう。

さて毎年、干支ゆかりの社寺への初詣ですが、
今回は奈良・桜井の大神神社(三輪明神)に詣でました。

三輪さんにはわが家は子供の頃は常の初詣先としていて、
自分の干支が巳とわかってからは、とくに思い入れが深く、
絵を描いて、小学校の文集の表紙を飾ることもありました。
その後も年男を迎えれば、詣でる約束にしてきました。

大鳥居をくぐれば深い森になり、その奥に山を御神体とした拝殿があるという、
皇族が大王(おおきみ)族としてこの地に最初の本拠を置いた古代と基本的に変わらない、
まさに自然神というか、お伊勢さんのそれとはまた違った神代に通ずるような神々しさがあります。

ただ、久しぶりに来てみると、高齢者対策なのか、石段やスロープが整備されて、
現代的な雰囲気がちょっとなんか残念なところも少なくありませんね。

最近は「なでうさぎ」なるものも人気で、像の前に長蛇の列ですが、
そもそもこのうさぎさんは「うさぎとかめ」のお話にちなんだ意匠の大燈籠が
参道にあったのが解体され、燈籠の屋根にあったうさぎが社殿内で
一部の氏子さんや参詣者にだけ愛でられていたのが、近年表に出されたものなのだそうです。
(宝物館に燈籠の火袋の下にあったというカメが置かれていましたが、こっちはなぜかうさぎの耳があって、顔がかなりこわかった・・・)

知られていませんが、三輪さんの神事は卯の日卯の刻に行われるならわしもあり、
じつは三輪さんは卯の神様でもあるのだとか。

でも三輪さんと巳の縁は「巳の神杉」のみならず、逸話や古文書にもあるとおりです。

余談ですが、宝物館の展示によると、
卑弥呼の正体との説が有力な倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそのひめのみこと)は毎夜夜バイにくる麗しき男性の正体を三輪の大蛇と知って、彼にふられたショックで箸で大事なトコを突いて死んだから、その墓は「箸墓古墳」と言われるとか、

玉依姫命(たまよりひめのみこと)の神話では結婚した夫の正体が知りたくて、袖に糸を通した針を刺して、その後を追ってみたら、三輪山で大蛇に姿を変えていたとか。

また、別の神話では玉依姫命を見そめた、三輪のご祭神、大物主命が、
彼女がトイレに入ったときに、丹塗り(朱塗り)の矢に姿を変えて、排水溝の上流から入って、
これもまた女性の大事なトコを突いて、それで玉依姫命が新たな神なる子を授かったとかで、

じつは玉依姫命は昨年中、二度詣でた下鴨神社のご祭神で、
社のご由緒書にはもう少しぼかしてこの話を書いてありましたが、この伝説に基づいて、
下鴨神社の福矢(破魔矢)は丹塗り(朱塗り)の矢で、とくに子授けの徳があるとされています。

やっぱし蛇だけに、なんとも好色な感じで、なんともですね・・・。(-"-;

詣でたあとは、大鳥居の辻を入ったところの森正で、おそうめん。

子供の頃から連れてきてもらっていましたが、
にゅうめん1杯にしてはちょっとええ値段・・・

竹の器の突き出しの、黒豆が好きで、
昔はなかった土産売りになっていたので、買い求めました。

やっぱり、ちょっとええ値段・・・

2012年11月26日 (月)

もみじの永観堂。

紅葉を愛でに、京都の永観堂に行ってきました。

「もみじの永観堂」と呼ばれるに相応しく、もみじ、もみじでおなかいっぱいになりました。

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2012年10月 8日 (月)

ぼく、かりんとう。の謎【改訂】

10月31日はハロウィンということで、カボチャのランタンとやら、
オレンジ色の飾り付けをするお店が、近年だんだん普通になってきてるみたいですけど、

そもそもハロウィンはどういうお祭りなのか、
ウィキペディアやらを見ても、イマイチよくわかりません。

ただover45の僕は、ハロウィンそのものについて知ったのは、小学生の頃に見ていた、NHKのPEANUTSのアニメで、

ライナスが会えもしないカボチャ大王の到来を畑でサリーと待っているのと、

近所の家々をお菓子をねだって回った友達と互いの袋の中身を披露しあうなかで、
「ぼく、かりんとう」
と、かりんとうばかりもらってた谷啓の声のチャーリーブラウンの様子を思い出します。

子供服メーカーのファミリアが「スヌーピー」のぬいぐるみを発売したのが確か1972年だったか。
スヌーピーが日本でアイドルデビューした頃です。

ただそもそもPEANUTSは新聞の4コマ漫画なので、子供向けとは言い難い毎回シュールなストーリーのアニメでした。

さて話を戻しますが、
僕も「かりんとう」なるお菓子に関心を持ったこと自体、このアニメがはじめてだったと思いますが、
いま思い返せば、アメリカに「かりんとう」があるはずもなく、
冬ソナのユジンの食べたのが「おもち」じゃなくて「トッポッギ」だったように、
訳をつけられていないチャーリーブラウンは、いったい何と言って、それをもらっていたのか、気になりますよね。

で、吹替えのないアニメがネット上にあったので見てみたら、

なんと、じつは“I got a Rock.”と言っていて、 「石ころをもらったよ」という意味のことを言っているのです。

石ころなら、ちょっと近所の子供にする大人がするようのことじゃないですね。
せめて「ロックケーキ」であってほしいと思うのですが、絵を見る限りはその印象とは程遠い。

日本の訳者が「かりんとう」と訳したのはじつに愛があって、
功を奏して絶妙のオチになったと思いますよね。

2012年5月 6日 (日)

1300年、姫のさと。

先週末にTVで観た、よもぎ餅が食べたくて、
朝も早うから当麻寺に向かいました。

当麻寺への参道には「中将餅」の看板で有名な老舗がある他、
よもぎ餅は名物でお店がいくつか軒を並べているのですが、

そのなかで、ほんまに蓬(よもぎ)が採れる、
4月〜5月のその時期数週間だけお店を開ける、
ほんまに旬の蓬だけをお餅にする「老舗」があるとのことで、
これは行かねばということで。

そのお店、「春木春風堂」に着いたのは8時ちょうどの頃でしたが、

受付してくれたおっちゃんは「11時以降の引き渡しになるよ」と釘を刺してきました。

あーそうなの・・・

ともかくは予約を入れて、
山のほうへ向いて當麻寺に詣でて、白鳳時代の国宝を拝観し、
ぼたんの庭を愛でることとしました。

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摂関家としてその地位を固めつつあった藤原氏にあって、
実母を失い継母に嫌われ、當麻寺に身を寄せられた中将姫は
本尊となる曼荼羅を織られて29歳にして亡くなられたという。

こういう境遇の姫は、絶対、美女であってほしい・・・


「春木春風堂」で買い求めた「姫餅」ですが、

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家に帰って開けてみますれば、
伊勢の赤福のような、柴又の草だんごのように上にこしあんを塗った感じで、

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ほおばると、青く爽やかな香味が口いっぱいに広がります。
新鮮な蓬はこんな味がするんですね。

見てください。この鮮やかなみどり色からもわかりますよね。

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この香味を知ると、よその和菓子のヨモギの味ではもの足りなくなります。
長らく待たされようがそれでも買って帰りたくなるのはよくわかります。

是非みなさんも一度ご賞味あれ。


「姫餅」を待ってる時間に記念に買った、葛城市のマスコット「蓮花ちゃん」。

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中将姫をモデルに、遷都祭の年に誕生したキャラクターで、
職場の近所に住んでいるとされる、角の生えたへんてこりんなガキんちょに
一途にかなわぬ想いを寄せているところが愛らしいではありませんか。

やめといたらええのに、あんなけったいやつ。


「姫餅」提げて、当麻寺をあとにして、

いま憧れの姫とそのご家族が行きつけにされている広陵町南郷の
「ハワイアンカフェZENBE」を目指しました。


歩いて。(笑)


昔、永く通った職場があった周辺で土地勘もあるし、
事実迷うこともまったくといって無くお店までたどり着いたのですが、
距離を全然理解してなくてアホでしたね。脚が爆発寸前でした。

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爽やかに海の匂いもしそうなお店でしたが、
ウワサ通り田んぼに続く田舎の路地に面してて、意外な感じでした。

自慢のロコモコ、確かにおいしかった。

来店した理由を素直に話したら、
姫が自ら店に置かせてもらってるノートに記帳をさせてくれました。

高田から広陵町あたりもすっかり都会化しましたね。
僕が当地にあった職場に通っていた頃からもう20年くらいにはなるのか。
憧れの姫が生まれたくらいか。

当時から街が徐々に整いつつありましたが、
ファミレス通りができ、大きなスーパーもできて・・・
生活が完結する環境が整ってしまいましたね。

もうあのコスモスの花畑はなくなってしもうたんやろかなあ。

職場にいたちょっと男勝りな姫たちもええお母ちゃんになってるやろか。

2012年4月20日 (金)

平野神社の桜、みてきました。

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今年は京都の北野天満宮の近く、地元では桜の名所として名高い、平野神社に桜を愛でに行きました。

 

境内から併設の桜園まで様々な品種の桜がまさに咲き乱れていて、圧巻です。
大阪の造幣局の百数十種には及びませんが、それでも数多くの珍しい品種の桜を見ることが出来ます。

 

平野神社は平氏、源氏、高階氏などの皇族から臣下に下った家の氏神として、平安期から厚く崇敬され、
それぞれの家が競うように一門を代表する桜を寄進し、植えられてきたので、
平野神社にあるものが日本の各所にある桜の原木、原種であるものも少なくないのだそうです。

 

大河ドラマ「平清盛」で、清盛が最初の妻に想いを打ち明けた神社は
妻が高階の娘だったことからも、この神社だったのかもしれません。(あくまでドラマ上の話ですが・・・)

 

京都でもガイドブックには隅の方に載っていて、他府県からの訪問が多すぎず、
品種が沢山あるので、それぞれが見頃を迎える時期が異なり、ソメイヨシノよりも早く楽しめるもの、
ソメイヨシノが散ってから見頃を迎えるものもあるので、桜を満喫したいかたにはおすすめです。

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2012年4月 1日 (日)

なんばの鴨がネギしょってたのか?

鴨肉とネギが入ったおそばは「鴨なんば」や「鴨なんばん」と呼ばれます。

特に大阪方面では「鴨なんばん」は間違いで「鴨なんば」が正しいという説が大阪人の中で幅をきかせています。

それは大阪の「なんば」が昔ネギの産地だったからだというからです。

厳密にいうともうちょっと南より、今宮のえべっさんのあるあたりが産地で、
まあほとんど「なんば」といえばなんばですけど。

 

現在のなんば付近はいにしえから大阪湾で採れた魚が集積し、
田畑についてはネギではなく人参やらが名産とされるほどの根菜などが主要な産物で、食材が集まる場所だったようです。
その名残は現在に続いている木津の卸売市場はもちろん
今宮のえべっさんが豊漁祈願でこの地に勧請され、商売の神様に変化していったのはそういう理由なのでしょう。
食材が集まるところなので次第に「食い倒れ」の街にもなったのです。

 

なんばの田畑はぬかるみが多くて、すべらないころばないようにした歩き方を
「なんば歩き」「なんば走り」(手と足を交互にではなく右手・右足、左手・左足をいっしょに動かす歩き方または走り方)と呼ぶようになったとの説もあります。
なんば歩きのの「なんば」は「難場」が語源だという説もあります。
つまりなんばの田畑は、ぬかるみの難場だったというのです。

 

あ、ずいぶん話がそれてしまいましたが、じゃあ「鴨なんばん」は間違いかというとそういうわけでもなく、

江戸や明治の頃に、ネギやトウガラシをつかった料理はそもそも日本の文化に無く、南蛮渡来だったので、その類をつかった料理は総じて「南蛮料理」と呼ばれてきたのだそうです。

一説にはじつは「カレー南蛮」そばのほうが「鴨南蛮」より先に存在したという話もあり、要は西洋風で珍しい料理をみんな「南蛮」と呼んでいたのではないかとさえ言われています。

チキン南蛮もそうなのかというと、じつは唐揚げを南蛮漬け、つまり南蛮酢に漬けることからそう呼ばれるのであって、「南蛮酢」には鷹の爪とネギが原材料になっています。

 

だから「鴨なんば」も、「鴨なんばん」も、どっちもありってとことなんです。

 

なんば周辺で見られなくなった「難波ねぎ」は現在は大阪市住吉区内で栽培収穫されているそうです。
背が低く葉が太目で切った断面から目に見えて粘っこい汁が出ます。

いま戎橋筋の「大寅」で難波ねぎを使ったてんぷらが販売中です。
いただきましたが、とってもおいしかったです。o(^-^)o

なんばの昔の思いを馳せて、是非おためしあれ。

 

 

難波ねぎ天
【大寅】住所:大阪市中央区難波3-2-29 TEL:06-6641-3451

※ 店頭販売のみ。
※ 新大阪駅構内の大寅のお店での買えるらしいです。

 

参考サイト「上方・大阪の蕎麦

2012年1月26日 (木)

ほんまもんのみたらし団子。

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少し前の話になりますが、京都の下鴨神社の近くにある「加茂みたらし茶屋」に寄って来ました。

このお店が提供しているものが「みたらし団子」の元祖といわれているのです。

みたらし団子の「みたらし」とは「蜜垂らし」だとずっとそう思っていましたが、

「語呂」としては正しいかもしれませんが、語源は下鴨神社の「御手洗場」だったのです。

「御手洗」と書いて「みたらい」と読みます。

御手(みて)・洗(あらい)が縮こまって「みたらい」です。

古文表現で「御手洗す」場所なので「みたらし」になるのです。

だから漢字で正しく表記すれば「御手洗場団子」ということになります。

 

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平安時代以来、祭事を司る巫女さんがお清めをする場所が「御手洗場(みたらし)」なのです。

その御手洗場で夏場に「御手洗祭」があるのですが、なぜかその祭りの頃にだけ

御手洗場に水泡が湧き上がるらしく、

その水泡の形を模したのが「みたらし団子」なのです。

加茂みたらし茶屋のみたらし団子は水泡のように小ぶりな球の団子で、5つ、串に刺さっていました。

上品でしつこさのない味わいでした。

トイレのことを品よく「お手洗い」という慣習があるがゆえに
(それこそ神社のお清め場にかけているのですが)
「御手洗場団子」と表記してはちょっと食べたい気持ちにはなれないですよね。

追伸。
御手洗(みたらい)といえば、ミラーマンの御手洗博士を思い出す僕はoverフォーティなんちゃら。(笑)

加茂みたらし茶屋

京都府京都市左京区下鴨松ノ木町53
営業時間: 9:30~20:00(L.O.19:30)
定休日: 水曜日(祝日営業)

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