奈良漬け。 Feed

2010年4月20日 (火)

せんと多難。

じつは18日の日曜日、平城遷都1300年祭平城宮跡会場プレOPENに行ってまいりました。

開催する側としては、1週間前の予行演習でもあったわけですが・・・

 

まずは大和西大寺の南側から会場までのシャトルバスに乗ったわけですが、
僕が勤める会社はこの場所から見えるくらいの、目と鼻の先にあります。
この日を迎えるまでにずいぶん前から、前日まで道路整備やその周辺工事してて、
じつはまだ終わってません。

ずいぶん前って、もう何年もやってたんですよ。
なんかちょっとやってはすぐ止めて、雨降ったら仕事せえへん、日が暮れる前に仕事止める。
そんな調子で、結局終わってへん。
民主党政権になろうが、こんなんですわ、お役所主導の工事って。

どうにか使えるようになったシャトルバスのコース。
地元の人も新たな幹線道路になると思ってたのに、出来てみれば
ほんまにシャトルバスの往来のためだけの道路。これイベント済んだらどうすんのやろか・・・。

 

ともかくは、バスに乗ります。
バス道を既存の生活道路が横断しています。でも、信号がない・・・。
ガードマンのおっちゃんが一人で、バスが乗り場に入れば工事用バリケードをえっさほっさ並べて、
出発時にまたえっさほっさ撤去することを繰り返している。こんなんでまにあうんか・・・。

 

平城宮跡到着。
案内所でガイドツアーを予約して、時間までマップをもらって、見れるところを見て回ろうとうろつくが、
ガードマンや案内ガイドに聞いてもよく知らないとか、
ひとりはこっち行ったらあかんと言うが、ひとりはこっちへ行ってもよいという。
うーん・・・。

 

ガイドツアー。
ワイヤレス通信の案内はなかなか進んでると思ったけれど、
おばはんのしょうもない私語も全部聞かされる。
ツアーメンバーの車椅子のひとにはさすがに注意はしてくれているけれど、
じつは杖こそ使っていないが脚が悪いかたがいることに気が付いていなくて、どんどん急いで行ってしまう。
ガイドの内容も台本見まくり。予行とはいえ、もう実践する機会ないのに大丈夫かよ・・・。

 

平城宮跡会場の立ち寄るべき場所は、北奥にできた大極殿のほかは、
宮跡の東西の端にしかない。
食事するのも土産を買うのも、東側にしかない!

大変な移動距離で、高齢者や身体の不自由な人にはかなり過酷。
移動トラムが走っているとはいえ、基本的に子供や健常者家族が長蛇の列をつくってでも乗りたがるので
おじいちゃんやおばあちゃんが長く待てるはずもない。
ともかくベンチだけでももっと設置すべきやと思いました。

 

ところで、平城宮跡会場の見どころは期間限定の「パビリオン」ではありません。
会期以降もこの地に恒久的におかれる学術的博物館で、
ようするに、遷都祭期間中でなくても、動機さえあれば来年でも再来年でも見ることができます。
大極殿も無料で拝観できます。

つまり平城遷都祭はその「動機」を提供しているだけなのです。

そういう意味ではとくに地元の奈良の人は急いてくる意味は全然ないかも・・・。

でも面白くないというわけではなく、それぞれの展示物は来て見るだけの価値はいちおうあるとは思います。
まあ、リピートは無いけど。

 

しかしなあ、それだけに、いかに不景気で税金の無駄遣いな箱モノは作れんかったという事情はわからんでもないけど、
みんなここへ来る人はそれなりに高揚もしてて、お金も多少は使うてくれる気持ちにもなっていように、
何にも無さ過ぎ・・・。
もうちょっとお金落とさせるもんがあってもよかったんとちゃうかあ。

それとレストランはスタッフの動きが悪いし、物販やファーストフードのお店も規模が小さすぎで、
少なくとも開幕からGWにこれで対応できるのか凄く気になります。

 

総じて「奈良ボケ」。近畿の他府県にはない、独特のゆる~い感じそのまんま。
そういう意味ではいかにも奈良のイベントなのかもしれません。

たぶん、当事者も奈良の人らしく、たいしてそれにあわてることもなく、
なーんとなくやり過ごして、問題に問題意識も持たず、遷都祭は幕を閉じるのでしょう。

201004181246000_2

 

2010年4月16日 (金)

あっては奈良ん。

西大寺の大茶盛の詰めは宇治茶。
遷都祭の土産の材料も一部をのぞくけど、宇治茶。

大和茶の組合、全然やんけ。もっと頑張らな。

2009年10月13日 (火)

豊心丹。

その昔、といっても戦前まであったらしいのですが、
大きなお寺では、お坊さんが調合した漢方のおくすりが売られていました。
吉野の陀羅尼助などもその名残ですが、
たとえば東大寺には奇応丸とか、いう名前のくすりが。
・・・たぶん直系ではないにしろ、いまの樋屋奇応丸に効能の面で通ずるところがあるのだと思うのですが。

なんでも効くみたいなふれこみで、結局いまでいうサプリメントやら健康食品の類になるのだと思います。

南都・西大寺さんにも「豊心丹」というくすりがあったそうです。

そのおくすりがあったころ、関西方面では、
嫁の尻に敷かれてる旦那どもは「豊心丹」と冷やかされていました。

「妻 大事」のシャレ、いうことらしいです。

2009年10月11日 (日)

西大寺さん。

職場に近い西大寺さんは秋の「大茶盛」がありました。

お茶屋の家に生まれて40余年、ずーっと気になっていた行事ですが、
きょう初めて参加してまいりました。

 

大茶盛は西大寺さんの境内の奥のほうの、
現代的な、大広間のある会館のようなところで行われました。

茶釜を大きく巻くように三重に100人ほどが招き入れられました。

大きな床の間には高僧・叡尊上人の掛け軸と
雪を模した綿を載せた巨大な松の盆栽とその隅に赤い小さな神祠があります。

現在大茶盛はお正月と、春、秋の、一年に三回催されていますが、
そもそもは鎌倉時代の、ある年正月16日に叡尊上人が旧境内地の八幡宮で
村の民人たちの健康を祈念して、当時は薬同様であったお茶を振る舞ったのが
大茶盛の始まりで、その日の雪の降る八幡宮の様子を再現した床の間なのだそうで、
お正月以外の春、秋の大茶盛の機会もおなじ飾りをされているのだそうです。

また大茶盛は場所を八幡宮から西大寺さんに転じていますが、
以来ずっと絶やすことなくつづけておられる行事なのだそうです。

八幡宮は現在の西大寺さんでは境内の外ですが、
いまも在り、西大寺さん周辺の街の氏子衆がまもり、
この日に併せて年一度の祭りが催されています。

 

大茶盛のお茶たては、お抹茶茶碗が巨大なだけでなく、
茶釜も、茶をとく茶せんも、茶釜から湯をすくう柄杓も、
なつめ(茶入れ)も茶杓も巨大なんですよ。

茶道具がの巨大なのはデフォルメされたものだとは思うのですが、
司会進行のお坊さんのお話では、大きなお茶碗を使ういわれは、

叡尊上人が雪の八幡宮でお茶を振る舞おうと、
民人に器を持参して集まりなさいと呼びかけたものの、
民人はお茶がどんなもんかわからないし、どんな器をもっていっていいかわからない。
それで民人が持ち寄ったのはどんぶり鉢が多かったと思われますが、
井戸桶や水がめ、壺のようなものも持ち寄られたことが想像され、
それが大きな抹茶茶碗を用いるもとになったのではないか、とのことでした。

 

大茶盛は「大盛り茶」という意味ではありません。
現在よりははるかに戒律を重んじた叡尊上人時代の西大寺さんにあって
酒はご法度。
酒盛はできないから「茶盛」しようという、ということのなったんやそうです。
最初のいきさつはともかく、後年はお寺と民人を交えた余興だったんでしょうね。

お坊さんは、
まさか床の間にクリスマスツリーがあったなんて他所で言わないでくださいとか、
なかなかお上手な関西人トークでした。

 

この日だけのお菓子である「西大寺餅」が配られ、大茶椀がまわってきました。
大人の男でしたから、ひとりでおし頂きましたが、やっぱしまあまあ重かったですよ。
落とさないように気をつけながら、恐る恐る頂きました。

およそ5人に1椀ずつ配られた大茶椀のいくつかは奈良絵の赤膚焼、
生駒の高山の茶せんと、茶道具には奈良の有名な生産地のものが使われていました。

でも茶詰めは京都の小山園さんの大茶盛用のお抹茶なのだそうですが、
これが大和茶でないのが、やっぱしちょっと残念かなあ。
大和茶がブランディングされはじめたのは、ほんま最近やし、
仕方ないかなあ。奈良の茶業関係者、頑張ってほしいです。

 

ところで、西大寺というと、
関西の人の多くは直感的に近鉄の「大和西大寺駅」とその周辺と理解します。
驚くなかれ、超・地元の奈良県人でさえお寺のほうを思い浮かべないひとのほうが圧倒的に多い。

西大寺のお坊さんも電話帳で調べられたのか、一般の方から
寺務所に始発やら乗換えの問い合わせがちょくちょく入るそうです。

意外と首都圏や関西以外からの観光の方のほうが、
素直に「東大寺」の対としての「西大寺」という連想をされるみたいです。

岡山から西の地方では「西大寺」は「はだかまつり」で有名な
岡山の西大寺のほうを思い浮かべるかたのほうが多いかもしれません。
奈良の東大寺の対はこっちのほうだと思っているかたもおられるかも。

いうまでもなく、奈良時代に東大寺建立から10年のちに、
南都・西大寺が出来ていて、岡山のほうがずっと新しいのですが、

なんで、岡山に西大寺があるのでしょうか。

 

ちょっと調べてみますと、岡山のほうでは奈良の西大寺さんとは
全くの無関係というのが「定説」で今日まであるそうなのですが、
じつはそれはずいぶん偏った解釈なのだそうで、

そもそも岡山には「西大寺」を冠するのは
「はだかまつり」で有名な「西大寺観音院」と
もうひとつ「西大寺普門坊」が存在し、
「観音院」は奈良の西大寺さんとは無縁と言い切れますが、
「普門坊」は叡尊上人と縁もある、正真正銘、奈良西大寺さんの末寺で
おなじ真言律宗で、

なにより奈良・西大寺の末寺がなぜ当地に置かれたかというと、

そもそも奈良時代の西大寺さんの寺領が、まさに当地であり、
かつての奈良の西大寺さんが併設していた尼寺の「西隆寺」さえ
そこにあったくらいで、

岡山に「西大寺」があったのではなくて、
「西大寺」という土地にお寺が建てられたというのが、
どうやら歴史的に正しいみたいなのやそうです。

 

「西大寺」のお寺と地名の認識が現在の関西の場合と
180度ひっくり返ってるのがなんか面白いですよね。

2009年8月15日 (土)

テラ。

「ほら、○○ちゃん、まんまんちゃんしよか。」

まんまんちゃんとは、南無阿弥陀仏の幼児語略である。
近畿・北陸とその周辺の阿弥陀信仰が深く根付いている地域で生まれた言葉だ。
でも、いま目の前にあるのは観世音菩薩やから、
まんまんちゃんはあかん。
のんのんさまが正解。

のんのんさまは阿弥陀信仰の前の時代に観音信仰が普及し篤かった地域で使われる。
その音からももとは「観音さま」であることはうかがい知れる。
近世以前の日本文化は京都を中心に同心円状に外へ拡がっているので、
観音信仰はおおよそ阿弥陀信仰の地域の外側にある。

こら、そこのおっちゃん。
なんでかしわ手なんか打ったらあかんやろが。

なんでやて?
あんた歳いくつやねんな。( ̄^ ̄)

サンデー毎日なご身分のかたに
こういう先達がたまにいて、
次世代に堂々と誤った見本されては困ったもんである。
合掌礼拝(がっしょう・らいはい)。

2009年5月 7日 (木)

大和西大寺。

面接で、大和西大寺まで行ってきました。

西大寺のお寺が間近だったので、はじめてやったし、
就職祈願もかねて、寄ってきました。

 

西大寺見取り図 本堂に境内見取り図がはってありました。

境内地にお寺経営の幼稚園があるのですが、

「堂本剛 出身」

って貼ってある付箋が、
お堂やお寺の建物のどれよりも目立ってました。

2009年4月18日 (土)

寧楽。

良いお天気ですね。

きょうも、剛紫さんのおかげで平城宮跡のなか彷徨ってるおんなのコ、
多いらしいですよ。

このあいだまで、ならまちあたりは玉木さんファンであふれてたのに。

なんば線も開通して来易くなったしね。

万城目さんの小説がドラマになって、
こんどは剛紫さんが歌をリリースして、
多分に来年の遷都祭につながることを意識してる感があるけど、

そもそも奈良は万葉集もしかり、
太古から雅な文化都市、芸術に先んじた都があった場所なんですから、
こうして文学や音楽で陽があたるのは、あるべき姿だと思います。

条件だけを並べれば京都に似てるけど、
工芸とかお菓子とか物質的文化が際立つ京都のようではなくて、
やっぱり神代につながる時代の都があった奈良は、
物語や、歌や、情緒的文化を大事にしてほしいなあと思います。

東大寺と、春日大社と、興福寺が、
垣根なく鹿が行きかう芝でつながっている、その感覚のまんまで、
これからも。

2009年4月16日 (木)

「美我空」、剛紫。

曲解しているかもしれないが、
彼は以前何かの機会に次のような話をした。

 

30歳になるが、将来は自分の拠点を奈良に移したい。
実家のある奈良に帰った時の、ホッとした、解放された感覚の「本当の自分」で活動したいという、そんなような内容だったように思う。

 

彼は平城宮跡が好きで帰省すると必ず訪れる場所で、
寝転がったり、ぼーっとしたりする心のよりどころなのだそうである。

偶然とはいえ30歳を超えてすぐ、
彼が大好きなその場所で、遷都祭がおこなわれることも、
彼が奈良を想う心を大きく突き動かしているようだ。

 

こんどのアルバムの題字は自ら奈良筆で奈良墨つかって書いたそうで、
自ら撮った奈良の空や桜の写真を使い、
PVも奈良の風景がふんだんに織り込まれている。

 

奈良が父祖の地である自分も、
そういう彼のこれからの活躍を歓迎し、期待し、応援したいと思う。

2009年1月 2日 (金)

味覚のDNA。

去年、奈良に通い詰めしてたある時に頂いたカタログのなかに
奈良の雑煮に関する記事があって、それがずーっと気になっていました。

それというのも、奈良の雑煮は、白味噌の関西風で
それに関しては京都や大阪とかわらへんのですが、
な、なんと、雑煮から餅(焼いた丸餅)を陸揚げして、
砂糖きな粉にまぶして食うのが慣わしなどと書いてあったのです。

わが家は祖父母の代以前は奈良の家系なのですが、
親戚一族、そんなことやってる家ありません。
餅を焼くのは京風ではないのやなあくらいは思うてましたけど。

で、ことしは奈良系三世大阪人としてはやっとかな、と思うて
試しました。(^^)

これはご飯になるのか、おやつやお茶請けになるのか、
どういう位置づけになるんでしょうかね。

酢豚のパイナップルが許せないとか、
砂糖をつかう甘い卵焼きがあかん、おはぎが食えん、
ところてんに黒蜜はなしやろ、とかいうカンジの人は無理ですかね。

僕はその逆なんで、まるっきしOKですけど。

広東、台湾、香港、ベトナムや赤道に近いところのお茶は
砂糖や蜂蜜を入れて飲む習慣があり、
四川や朝鮮半島では唐辛子の辛い食べ物が好まれる。

北と南から日本列島に流れ込んで、その子孫が日本人になったわけで、
僕らの個々のDNAにどっちかが味覚に現れてるのとちがうでしょうか。

奈良はその後都が遷った京都と違い、大和時代から仏教をはじめ、
アジア南方ルートで流入した文化をストレートに受け入れていたがゆえに
こんな雑煮もあるんかなぁとか思うんですけど。

2008年12月 8日 (月)

友情は誓わないらしい。

問題の3人が揃って初顔合わせしたらしい。

せんととまんとはイベント2日めで、
かなりダンスやりこんだ感があるが、
なーむは何ええかげんにごまかしとんねん。
女らしい動きやけど、
おまえ、なーむ「くん」やったよな?

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