職場に近い西大寺さんは秋の「大茶盛」がありました。
お茶屋の家に生まれて40余年、ずーっと気になっていた行事ですが、
きょう初めて参加してまいりました。
大茶盛は西大寺さんの境内の奥のほうの、
現代的な、大広間のある会館のようなところで行われました。
茶釜を大きく巻くように三重に100人ほどが招き入れられました。
大きな床の間には高僧・叡尊上人の掛け軸と
雪を模した綿を載せた巨大な松の盆栽とその隅に赤い小さな神祠があります。
現在大茶盛はお正月と、春、秋の、一年に三回催されていますが、
そもそもは鎌倉時代の、ある年正月16日に叡尊上人が旧境内地の八幡宮で
村の民人たちの健康を祈念して、当時は薬同様であったお茶を振る舞ったのが
大茶盛の始まりで、その日の雪の降る八幡宮の様子を再現した床の間なのだそうで、
お正月以外の春、秋の大茶盛の機会もおなじ飾りをされているのだそうです。
また大茶盛は場所を八幡宮から西大寺さんに転じていますが、
以来ずっと絶やすことなくつづけておられる行事なのだそうです。
八幡宮は現在の西大寺さんでは境内の外ですが、
いまも在り、西大寺さん周辺の街の氏子衆がまもり、
この日に併せて年一度の祭りが催されています。
大茶盛のお茶たては、お抹茶茶碗が巨大なだけでなく、
茶釜も、茶をとく茶せんも、茶釜から湯をすくう柄杓も、
なつめ(茶入れ)も茶杓も巨大なんですよ。
茶道具がの巨大なのはデフォルメされたものだとは思うのですが、
司会進行のお坊さんのお話では、大きなお茶碗を使ういわれは、
叡尊上人が雪の八幡宮でお茶を振る舞おうと、
民人に器を持参して集まりなさいと呼びかけたものの、
民人はお茶がどんなもんかわからないし、どんな器をもっていっていいかわからない。
それで民人が持ち寄ったのはどんぶり鉢が多かったと思われますが、
井戸桶や水がめ、壺のようなものも持ち寄られたことが想像され、
それが大きな抹茶茶碗を用いるもとになったのではないか、とのことでした。
大茶盛は「大盛り茶」という意味ではありません。
現在よりははるかに戒律を重んじた叡尊上人時代の西大寺さんにあって
酒はご法度。
酒盛はできないから「茶盛」しようという、ということのなったんやそうです。
最初のいきさつはともかく、後年はお寺と民人を交えた余興だったんでしょうね。
お坊さんは、
まさか床の間にクリスマスツリーがあったなんて他所で言わないでくださいとか、
なかなかお上手な関西人トークでした。
この日だけのお菓子である「西大寺餅」が配られ、大茶椀がまわってきました。
大人の男でしたから、ひとりでおし頂きましたが、やっぱしまあまあ重かったですよ。
落とさないように気をつけながら、恐る恐る頂きました。
およそ5人に1椀ずつ配られた大茶椀のいくつかは奈良絵の赤膚焼、
生駒の高山の茶せんと、茶道具には奈良の有名な生産地のものが使われていました。
でも茶詰めは京都の小山園さんの大茶盛用のお抹茶なのだそうですが、
これが大和茶でないのが、やっぱしちょっと残念かなあ。
大和茶がブランディングされはじめたのは、ほんま最近やし、
仕方ないかなあ。奈良の茶業関係者、頑張ってほしいです。
ところで、西大寺というと、
関西の人の多くは直感的に近鉄の「大和西大寺駅」とその周辺と理解します。
驚くなかれ、超・地元の奈良県人でさえお寺のほうを思い浮かべないひとのほうが圧倒的に多い。
西大寺のお坊さんも電話帳で調べられたのか、一般の方から
寺務所に始発やら乗換えの問い合わせがちょくちょく入るそうです。
意外と首都圏や関西以外からの観光の方のほうが、
素直に「東大寺」の対としての「西大寺」という連想をされるみたいです。
岡山から西の地方では「西大寺」は「はだかまつり」で有名な
岡山の西大寺のほうを思い浮かべるかたのほうが多いかもしれません。
奈良の東大寺の対はこっちのほうだと思っているかたもおられるかも。
いうまでもなく、奈良時代に東大寺建立から10年のちに、
南都・西大寺が出来ていて、岡山のほうがずっと新しいのですが、
なんで、岡山に西大寺があるのでしょうか。
ちょっと調べてみますと、岡山のほうでは奈良の西大寺さんとは
全くの無関係というのが「定説」で今日まであるそうなのですが、
じつはそれはずいぶん偏った解釈なのだそうで、
そもそも岡山には「西大寺」を冠するのは
「はだかまつり」で有名な「西大寺観音院」と
もうひとつ「西大寺普門坊」が存在し、
「観音院」は奈良の西大寺さんとは無縁と言い切れますが、
「普門坊」は叡尊上人と縁もある、正真正銘、奈良西大寺さんの末寺で
おなじ真言律宗で、
なにより奈良・西大寺の末寺がなぜ当地に置かれたかというと、
そもそも奈良時代の西大寺さんの寺領が、まさに当地であり、
かつての奈良の西大寺さんが併設していた尼寺の「西隆寺」さえ
そこにあったくらいで、
岡山に「西大寺」があったのではなくて、
「西大寺」という土地にお寺が建てられたというのが、
どうやら歴史的に正しいみたいなのやそうです。
「西大寺」のお寺と地名の認識が現在の関西の場合と
180度ひっくり返ってるのがなんか面白いですよね。
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