葬祭どきゅめんと。 Feed

2009年2月11日 (水)

家の歴史。

課税もされないような資産ばかりだけれど、
次の世代にややこしいもんを残さんように、相続の準備をはじめている。

親父やおふくろの血族関係を明らかにするため、「原戸籍(はらこせき)」を集めていく。

「原戸籍」とは、現在の戸籍法では婚姻した二人で新たに戸籍をつくり、
両親の戸籍から抹消されるのであるが、その抹消された両親の戸籍謄本のことであり、それが本籍を変えていれば、その以前の土地に残されたものも原戸籍である。

原戸籍は親父とおふくろの出生が届けられたところまで順にさかのぼって請求していかなければならない。

昭和30年代に戸籍法が改正される前のものは、婚姻で戸籍をべつにしていなかったので、曾祖父やら、祖父の兄弟やら、それぞれの孫まで一緒くたに書かれている。

いついつに出生が届けられ、婚姻届、あるいは死亡届が受理されて抹消される。
両親や親の兄妹の人生が要約されている。
その瞬間瞬間にさまざまな思いがあったろう。
かなり面白いものである。

恥ずかしながら曾祖母の名前をはじめて知った。
親父が生まれたときはすでに亡くなっていたせいもあって、
わが家では話題に上がることもまったくといってなかった。

昔は家の墓に女性は入れてもらえず、近くに小墓を設けてきた。
誰だろうと思いつつ、義理で参っていた小墓の下のひとはこのひとらしい。
不遜なことをしてきたものだ。
もっとも実際には大きな墓にも小墓にも、昭和初頭以前の「陣地取り」だけの慣習で
誰も埋められていない可能性だってある。
そのせいか、小墓に刻まれた名前と戸籍の名前が微妙に違う。
曾祖母と判断しがたかったのはそのせいでもある。

これからはもっといま以上に心をこめて参ることにする。

実祖母は僕のものの考え方や雰囲気に似ていたと云われる。
親父が幼少のころに亡くなっているので会うこともかなわない。

親父は僕に似てあわてんぼで、あんぽんたんな人柄だったが、
自分がつまらない失敗をするたび、親父とおんなじ態度をとっていることに
疑いのないDNAを感じてしまう。祖母もそうだったのかなあ。

みんな難儀してたんかなあ。

2008年11月 9日 (日)

葬祭どきゅめんと。大谷本廟納骨。

週末の土曜日、小雨。
京都・五条坂にある「大谷本廟」。

浄土真宗では、火葬後の骨を
のど仏を中心に少ない骨で小さな壺に詰めた「本骨」と
お墓に納める大きめの壺の「分骨」に分け、
「本骨」を宗祖親鸞聖人の御墓である御廟に納めるのが習わしになっている。

これまでも再三書いてきているが、浄土真宗は「東」「西」の派に分かれているが、
親鸞聖人の墓所まで各々の見解で「東」「西」それぞれに存在する。
ホンマ、ややこしい。

兄貴家族と境内の山門で待ち合わせる。
2012年の親鸞さんの750回忌記念の法要を目指して、
東も西も浄土真宗はなんやかやどこの建物の大修理中で、
大谷本廟も山門は、堀川の西本願寺の建物やらと同様グレーの工事幕におおわれている。

大谷本廟はこれまでも幾度か来ているが、
清水さんの参道にあるせいで、
観光中の外国人のかたが紛れて入ってこられるが、
宗の本部機能のお役所として現代風のビルディングが
徳川家康の時代からある古刹のなかにあるのを見て、
毎度どぎまぎされて、出て行かれるのがいつも気になる。

親父の葬儀以来、檀家になったRAV4住職からいただいた届書と
「本骨」を持って、本廟ビルの受付に並ぶ。

大谷本廟には本骨を名著堂という宗祖の御廟に納めるのと、
お墓代わりにする無量寿堂への納骨の2パターンがある。
名著堂納骨は最低「2万円」のご仏前を納めなければならない。

受付が完了すると、家族は読経所なるお堂へ誘導される。

他の多くの家族と同席し、本骨はまとめてお堂の阿弥陀さんの前に
盆に載せられておかれ、3人の坊さんの読経、
お堂に集まった家族らが畳で並び、にじり進みながら焼香をすませる。
法話のあと、本骨がそれぞれの家族に戻される。

それぞれに本骨を持って、名著堂まで雨を除けながら移動する。
そこで待つ若い坊さんが持っている盆に再度本骨を載せて、
家族はお香が煙たい、外の賽銭箱の前で、
お盆を掲げたお坊さんが堂の奥の親鸞さんの廟の裏まで運ばれ、
盆が空になって戻ってくるまで手を合わせて見守る。

最後にお念仏を唱え、合掌来拝。

これで納骨は終わり。
親父は親鸞聖人のもとにまつっていただけることになったわけである。

雨がやんだ鉛色の空そのままに
鉛のような冷たい風が境内に吹き流れる。

2008年8月 3日 (日)

葬祭どきゅめんと。一周忌編。

兄宅から徒歩10~15分の最寄駅。車で約5分圏内。

おふくろの長義兄の迎えで、駅前の車中。
「迎え」というが、長義兄御大ご本人は迎えがあることはご存じない。
太平洋戦争の海軍で洋上の戦地に赴き、
弾を放つ砲の大音響で聴力を損なっている御大はいまだ背筋もまっすぐで
早朝のゲートボールにいそしみ、足腰は頑強で、この時期は決まって日焼け顔である。
とはいえ、最近は老いには逆らえず一段と耳が遠くなっている。

おふくろの十三回忌を兼ねる親父の一周忌に
当然参加すべき御大ではあるが、兄宅にひとりで来たことがないというので
御大の代理を務めることの多い次男に参加の可否を確かめると、
当日は御大が自らひとりで兄宅へうかがうという。

いくら健脚とはいえ、この炎天下、道不案内な大長老に10~15分歩いてもらうわけには
さすがにイカンやろ。
というわけで、会場の自宅で親族を迎える役になる兄にかわって
僕が駅まで迎えに出た次第。

法事開催時間までに間に合う電車の到着は残り2本。

親父の従兄妹が改札から出てきて、叔父夫婦の車がそれを迎えて、
先に兄宅へ向かう。

最後の電車が到着しても見覚えのあるひとは下りてこない。

兄からケータイに連絡が入る。
御大は僕が駅に向かう以前にすでに街に入っていて、兄宅を探し回り、
たまたま通りかかったクロネコヤマトの車に声をかけ、
気のよいドライバーさんが御大を兄宅に「配達」してくれていた。(- -;



兄宅にクロネコヤマトで御大が「配達」されるころ、
開催30分前を過ぎて、おふくろの姉妹が到着。
兄が仏間に通したら、例のRAV4に乗ったお寺さんが道に迷ったあげく到着。
これを兄が表の通りで迎えていったら、娘が「(クロネコ)ヤマトさんから電話」と告げに。
電話を受けていたら、また表の通りで悲鳴があがる。(@@)

親父の従兄妹を載せた叔父夫婦の車が到着し、
大柄の親父の従兄がまだ降り切らず車中に足が残っている状況で、
うっかり叔父が車を動かして従兄が路上大転倒。(><)
奇跡的にも無傷。兄家族や親族がおろおろしているところへ
兄が飛び出してきて、そのときクロネコヤマトの車が到着。(- -;



兄宅に車で戻る僕の横をクロネコヤマトの車がすれ違って行く。
そんなことがあったとは露知らず、戻った頃には皆仏間に大集合していた。

読経中、正座が出来ず、どうにか脚を折るだけの母方の叔母は、
それでも辛かったようで、壁に身体を寄せて脚を伸ばさざるを得なくなる。

親父の妹である叔母は奈良県南に同居する次女夫婦ではなく、
なぜか奈良市内に住む長女夫婦が連れてきている。
認知症が始まっている実母を泊めるために、
義母を泊まりがけ介護に出してまでして、やってきているのが
なんのことやか、よくわからない。(-"-;

ウチは両親を亡くし、認知老人の介護も終わってしまったが、
親族もそれぞれにややこしい局面にはいってしまったようである。

それでいて、とくに父方はのんびりおっとりの典型的奈良県人で
この先の経緯がわかる僕らは結構心配。
それでもなんとかなるわで、意外とおっとりのんびりで乗り切ってしまうのかも。

母方も伯父に病があって参加できない親族もあったりしている。

法要のあとの会席はお店にマイクロバスで移動。
食後にお店の女中さんたちに見かけたひとりひとりに礼を言う長義兄御大は
介護していた頃の親父を見るようだった。

一周忌が終わって、盆が来れば、家族の一年の喪が明ける。

秋祭りは行ける、初詣は行ける、年賀状は書ける、
子供の頃は一年の我慢が終わって、普通に過ごせるようになるのを喜んだもので、
かくいう僕も、さっそく春日大社の鳥居もくぐってみる気だけれど、

喪が明けることは、逆にいえば、
あの世とこの世にお互いの居場所は変わっていても親父の存在の意識を
これをもって解放することでもあり、なんだかそれはそれで寂しいものも感じなくはない。
この一年、おふくろを亡くしたときみたいに、たまに何かにつけさめざめ泣くようなことは
さすがになかったけど。

ま、でも、遺族が忘れてやることも供養であり、
忘れてやらなければ、浄土へは行けんとも言うしね。

2008年7月20日 (日)

葬祭どきゅめんと。墓納骨。

両親は我が家の墓の建替えを考えていた。

しかしながら、おふくろが大病を患って先立ち、
その費用と、折しも不況に転じて茶舗の商売の旗色も悪くなり、
母の骨壺を家の仏壇に置いたまま11年が過ぎ、
昨年親父も亡くなってしまった。

葬儀、三十五日法要のあと、兄貴と墓の話になった。
両親の念願かなえてやろうと、なけなしの遺産金から計画を始めた頃、
両親が墓の建替えを念頭に、祖母の骨壺も菩提寺に預けたまんまだったことがわかった。
骨壺の祖母はじつは後妻だったゆえに、両親は墓に入れてよいものか躊躇していたらしい。
もちろん墓に入れてしかるべきで、
ホントのところは嫁姑の因縁みたいなことが躊躇の理由なのか?
仔細は死人に口なし。真相はもうわからない。

墓地工事の手配を始めた頃、
親父の負の遺産が発覚し、その清算に新墓の費用を充当せざるを得なくなる。

夏になって親父の一周忌とおふくろの十三回忌が迫る。

19日午前。菩提寺住職の助言に基づいて、
炎天下、遺族僕ら自ら墓石の下をスコップで掘って、3つの骨壺を埋める。
昭和初期に建てられたとみられる墓石はじつは「見せかけの墓」。

墓が建てられるまではそもそも亡骸は土葬するのが日本の習慣であり、
埋められた亡骸はみなそれぞれ土に還れば、正直どこへいってしまったかわからない。
最近のものはともかく、古くからある墓地の墓石はとにかく場所を決めて置かれているだけなのだそうだ。
現代のお墓は墓の下にコンテナみたいなものが埋まっていて、骨壺を置く棚がある。

ということで、ともかくウチの場合は掘って埋めることになった次第。

当時の建立技術なのだろう、墓石や区画安定のために
ずいぶん適当なセメントが流し込まれていて、周辺はどこもまともな掘り方ができない。
墓の表側も裏側も掘ってみたが、結局墓の表側の、ほとんど参拝者の足元付近に
骨壺を埋めることになってしまった。致しかたない。

住職の読経を仰いで一件落着。

あらためて新墓を建ててやるのはいつのことになるだろう。

2007年9月16日 (日)

葬祭どきゅめんと。四十九日(三十五日)。

親父、三十五日法要。

四十九日が3ヶ月目に入ってしまうことを「三月越し」といい、
「始終苦(四十九)労が身につく(三月につく)」という言い習わしから
三十五日を「忌明け」ちゅうことにするらしい。
単に語呂合わせなので、根拠がない、
そもそもお寺さん側からすれば仏さんの約束にはそんなもんはないらしい。

僕らもたまたま49日目にあたる日が都合しにくかったので
慣例的な前倒しをしたのが、たまたま35日目あたりになっただけやけど、
決めた日を親戚に連絡しまわってると、
「あ、三十五日やね」「ちょうど三十五日や」と
「四十九日」とこちらが言うと「三十五日」と言い直すよう諭される始末で、
なにしろ、葬儀が「友引」やったこともあるし、
それでまた四十九日で「仏」議かもしてもしかたないしね。

直前に黒革靴を買い直した。
通夜、葬儀は靴のせいで足腰が辛かった。

底革の靴って、クラッシックとかトラッドで「本式」なんでしょうけど、
今の時代に合うてへんと思う。
HAWKINSあたりの底ゴムがやっぱし具合がいい。
NIKEやスポーツメーカーのアスレチックシューズにあるような
エアクッションがはいっているのもいまや珍しくない。

オニツカのスニーカーを街中で履いて歩きまわるとエラい疲れる。
おんなじランニングシューズでも現在の後継モデルのアシックスなら
そんな思いすることはまず無い。
靴は進化してるんやから、身体にやさしいものを選択するのはしかるべきやとおもう。
「本式」も長い歴史で進化して、現在にあるわけやし、
進化を止めるほうが間違っている。

三十五日を前に大阪から郊外の兄宅へ仏壇を移動した。
仏壇を移動するのに親戚から「性根抜き(魂抜き)」するとかいう話が出てきた。
仏様の性根(魂)抜いてから、移動して、次に安置することろで
性根入れ(魂入れ)るもんやと言うような内容である。

でも、通夜葬儀でご縁になったお寺さんの話では、
そもそも仏壇には何も入っていなくて、そういう精神的なものがあるとしたら
位牌、仏像あるいは仏壇の中の掛け軸であって、
するなら遷座法要(仏様に、仏壇のお引越しを「告げる」)であって、
最近はこれを簡略化して、引越しした先で、入仏法要だけはするのが傾向なのやそうや。
今回も三十五日法要に合わせて入仏の法要もしていただいた。

ちなみに仏壇の引越しの機会に、仏壇の洗浄をする専門業者に預けた。
たまった焼香のすす払いと、剥げた金箔やキズの修復、
お飾りの交換、仏具の磨きなどのコースで、
程度によりかならずしも安いことはないが
新たに仏壇を買い替えるのとどっちが得か、照らして依頼するほうがいい。

大阪を出ていったときとはずいぶん様変わりして兄宅に到着していた。

法事となると、親族の自家用車の駐車場が問題。
兄の住まいの隣近所は寛容で、しかも緑の制服きたおっちゃんも来ることもない、
そんなところなので、路駐もぜんぜんOKやったけど。

仏壇が移設された兄宅の和室で、
親族がほぼ夫婦のいずれかの列席で通夜葬儀の半数以下の面々が揃って行われた。
お越しになったお寺さんは通夜葬儀のLAV4法師のご長男で、
兄もきょうまでお寺側と打ち合わせを繰り返していたが初見らしい。

入仏のはからいがあって、親父の戒名を入れた法要の宣言のようなものがあり、二本の読経があり、
そのあとお寺さんの講話があって、法要は締め。

お寺さんの講話では、法事で故人をしのぶのは当然の気持ちではあるが、
浄土真宗ではお釈迦様、阿弥陀様、親鸞様らの教えに触れる機会であるということ、
誰しもが予期せぬ死に常に直面しているがゆえに、
み仏のおしえに従って、普段身の回りのひとたちへの感謝と気配りを絶やさんようにということやった。
ほんまやね。

そのあと別地の、葬儀屋が契約していた会席料理店に
マイクロバスの送迎で移動。都度都度兄が指示のご挨拶。

終始、なんの難しい雰囲気もない親族集合。
一周忌以降は父方の親族だけの法事になりそうやけど、
一周忌に関しては、おふくろの十三回忌のタイミングやし、
初盆と、しつらえ直したお墓への二人分の納骨と、
みーんないっぺんにする予定。
ということで、双方の親族の来年の再集合を、
お互いの身体をいたわりながら誓い合って、兄宅玄関先で解散。

親戚を見送ってまもなく、僕も帰阪。

なんでも遺品整理は忌明けから百か日までにするべきらしい。
親父は心情的におふくろの遺品の処分をしたがらかったので
大阪の僕のウチには二人分、メッチャたんとある。
たいへんや・・・・(--;

2007年8月17日 (金)

葬祭どきゅめんと。最終回。(いちおう。)

初七日法要が終わる。

子供たちにしてみれば、
いったい今日何回焼香せなあかんねやってカンジやったやろな。

おじゅっさんが親族が全員着席したまんまで、
のんきに兄の住まいのあるところを地図を出して確認しだしたので、
これは親族はもう散会させるしかない。

ここまで完全サポートしてきた葬儀屋さんの進行係が
約束の終了の案内をしにきてくれない。おいおい。(--+

兄家族と僕は親族を労い、見送る。

会葬御礼を、明日以降自宅などに香典を持ってこられるかたのために
少し預かっていく。
これも消化したぶんの請求で残りは引き取ってくれる。


兄家族とともに兄宅に、位牌と骨箱かかえて戻る。

まもなく葬儀屋の進行係らが追いかけてきて、
親父の亡骸があった和室に、四十九日法要までの祭壇がしつられられる。

じつはこの部屋には10年そのまんまのおふくろの骨箱も仮で祭っている。
不謹慎なことだが、親父が現在のお墓の石を換えるなど
綺麗にしてから、納骨したいという意思があって、
そのままになってしまっていた。

法要の祭壇に、おふくろの骨箱も並列された。
生前この部屋で夫婦で余生を過ごす、二人の願いが
形は違えど、ようやく実現するまで、
結局おふくろのほうが、ここで待ってたみたいなカンジだ。


葬礼は終わった。
厳密には四十九日法要までは葬礼なのだが。

兄が、ゆっくり、メシでもして帰れと言うが、
兄家族はここで、やれやれ、でしょうが、

僕はまだ、大阪に戻るまではアウェイ。(--;

これを制して、一路・・・車がないので電車で大阪へ。


15日。不義理してる仏壇を掃除して、
遅ればせながらちょっとばっかし、お盆らしくして、
あとから香典を届けに来られるお客さんに備えて、
部屋を綺麗にした。・・・いちおう。(^^;

16日、銀行をあちこちハシゴする。

故人の銀行口座は死亡届を提出し、本籍地で抹消されると、
正当な遺産分配のためだと思うが、ロックされてしまうらしい。
残高額によるのか、銀行ごとに対応が違うのか定かではない。

不謹慎だが、死期を予見できたときから、
医療費の支払いもあるし、葬祭・仏事費用のこともあるから、
家族は素早く払出しして、自分たちの名義の口座にうつしておくべきだ。

わが家でも親父の入院治療中におおかた終了していたが、
この日にあらたに残していた口座が発覚して、大慌てで対処する。
親父の生命保険をいただくためだが、
本籍地の僕の地元の役所で「死亡除籍」記載のある戸籍謄本も手に入ってるし。

高額の引き出しは銀行によっては本人確認を求められるので
日に分けて小出し、小出しするしかない。

それと、ATMカードはつくらせておこう。
家族の居住が分散しているときはコトがはかどりやすい。
平日に大きなお金を銀行でおろす機会は作りにくいし。
ただ、最近の指紋認証など、セキュリティ性の高いカードは
こういうときはかなり迷惑する。
このあたりは、よく考えてつくるべきだと思う。

ちなみに銀行ごとにATM引出しが
一日一口座につき限度額がある。
さらに2007年9月から規制がキツくなるようだ。

少し大きな額の出金袋をカバンに忍ばせて、
車検戻りのピカピカの愛車で、兄宅へこれを届けに行く。

母方の方面の親族から、「四十九日はいつなのか」とクレームが
兄のところに寄せられる。(--)

おふくろの火葬証明書が見つかる。


【結びにかえて。】

「葬祭どきゅめんと。」は全話、
記憶をたどり、思い出した時点で、随時書き足しを継続しています。
皆さんに愉しく読んでいただくことより、
もともと自分用の覚書のつもりで書いておりますので、
まったく拙い内容であること、どうかご容赦ください。

高いご関心をいただいてお読みいただいているかたには、
そのつど、さかのぼって読み返しいただけましたら、
それでも何かのお役に立ち、
少しでもご満足につながるのではないでしょうか。

ご拝読、感謝いたします。
お悔やみの言葉、たくさん、たくさん
本当に有難うございます。

葬祭どきゅめんと。その8。

斎場から会館に戻る。

タクシーもマイクロバスも亡骸を運んでいるときよりも
絶対スピードあげて走ってる。

お寺さんは初七日の時間まで、他の檀家さんのお参りで
RAV4とばして行ってしまう。

会席。
葬儀の会席だというても、湿っぽいことはさらさらなく、
めったにない親族集合の機会にあれやこれや話に花が咲く。

従姉妹の女子は、ダイエットに成功したひとりを中心に
その手ほどきを聞きまくる。

僕は例によって、いつ結婚するんやと母方方面から小言を言われる。

母方の従姉妹の娘と兄の娘たちがDSのゲームで仲良く遊んでる。

ビール瓶もってお酌に回る。
親父ととくに親しかった、親父の従兄弟が
親父の思い出を語ってくれる。

ああ、ここだけ故人の葬式らしい雰囲気。
こういう話がこの場にあることが、故人にとって最良の供養。

その親父の従兄弟たち一党もそのうち
お酒で出来上がってきて、食堂ホールの奥の和室で
マッサージ機を玩具同然に使ったり、ごろ寝したり。

そうこうしてると、やっぱしストレートな母方の方面から
骨上げはどうなるの、初七日はきょうこのあととりおこなうのか発表しろと
クレームがくる。

ここで、2番目の、段取り狂う予想外。

お骨上げは、おふくろのときは家族だけで行った記憶がある。
実の姉妹にもかかわらず、母方親族の斎場同行はなかった。

ましてや、義兄弟の親父の今回は同行があるとは思えず、
自家用車の乗り合いで行こうと思っていたので、
葬儀屋さんが予定していた骨上げ往復のマイクロバスを断っていた。

ところが、母方親族の全員が斎場同行を申し出てくれる。
え、えらいこっちゃ。乗り合いやったら無理。

廊下に出て兄が僕にマイクロバスを断る進言が間違いだったと指摘する。
ムカつく。同意したやんけ、そっちが。

葬儀屋さんの進行係が、早速再手配してくれて、事なきを得る。

やっぱし葬儀屋さんは、プロである。
逆らわずに、話はきいておくべきだ。

なんで、母方は今回は同行してくれるのだろう。
おそらく、おふくろのときは骨上げの時間が思いがけず早く、
会席の途中になったせいだったか。
それとも、実の姉妹でみんな辛かったのかな。

お骨上げでは、僕はこんどはバスに乗り込んだ。

親父の実妹とその娘たちとバスの先頭でRAV4のお寺さんで
爆笑するほど盛り上がった。

斎場では、長い竹箸が配られ、
みんなで順番に拾って詰めていく。

炉から引き出された骨を、まず「本骨」とされる小さな磁器に
喪主家族からから順に、
足指の骨から入れ、身体の上のほうへ、手指の骨を入れ、
「のど仏」と呼ばれる、じつは頚椎の二番目の骨をおさめ、
最期に頭骨の小さなかけらを最期に、フタをする。

つづいて「分骨」になるおおきめの磁器に、
また足のほうから頭のほうで終わるように骨をおさめていく。

取り残した骨は、斎場の裏山に塚があって、そこにまとめて埋められる。

炉のワゴンに、自治体発行の「火葬証明書」があった。
火葬証明書がないと、お墓に納骨が出来ないのが普通。
納骨がもう10年も見送ってきた、おふくろの証明書、どこにあったっけ?

骨箱かかえて、僕がまたマイクロバスに乗る。
往きの車内同様、笑い声もある陽気な雰囲気だ。

親父も、みんなといっしょで、こんなカンジのほうが嬉しいやろな。

会館に戻ると会席をした部屋が、仏間風にかわっている。
初七日法要。

係りの人が設置された小さな仏壇に骨箱を、
先に並んでいた位牌や遺影の横に置く。

RAV4のおじゅっさんが、脇の席で冷茶を飲みながら
親族が揃うのを待っている。

葬祭どきゅめんと。その7。

起床。布団が悪くて身体がだるい。
普段履かない黒革靴のせいもあるかも。

洗顔し、コンビニで朝食になるものを買いに行く。
外気に当たると、すこし身体のだるさが取れた気分になる。

身支度がととのう前に、兄家族が来てしまったので
男子更衣室に行って着替えをする。

葬儀前の打ち合わせの前に、
参列者で名前のわからない親族の名前の確認を急ぐ。
香典ももちろんやけど、焼香で名前の読み上げが出来ないし。

叔父に電話でたずねるが、顔はわかっているが知らん、と言う。
これまでも親父の世代でも結構うる覚えで、
冠婚葬祭や法事でお互いに集まってるということか。
ええ加減名もんなんやね・・・(--;

ともかく心当たりを探って、ようやく判明する。
親父の従兄弟の義父で、親父の実妹の義兄弟とかやらで、
昔の世間は狭かったのねー。とくに田舎は。

親父もおんなじ苗字の従兄妹どうしの両親やったと記憶するし。

9:00、葬儀前打ち合わせ。

追加注文のあった供花の確認、預かった代金の引渡し。
焼香順、名前の読みの確認。
親族がホールの座席に焼香順で座わらせながら
順番に名前も確認していくとのこと。これで漏れがなくなる。
なるほどね。

会席のお弁当の数の最終確認。

喪主は葬儀での挨拶は進行係で代弁できるが、
会席前後の挨拶、骨上げ出発の連絡や初七日の同日開催などを
自らの口で伝えるように、とのこと。

ホールに行って追加された供花の飾り付け順位の確認。

11:00頃、昨夜と若干の顔ぶれの変更はあるも
再び親族が、親族控室にあぶれるほどに集結する。

親族には、べつに大勢の側には理由はないみたいなんやけど、
なんだか自発的に疎遠になっているような家もある。
通夜も葬儀も来るのか来ないのか予測がつかない。ややこしい。

でも、その家も控室には顔を出さなかったが
葬儀のホールから参列してくれた。

12:00、葬儀開始。

親族の焼香が、親父の実弟で留め焼香で終わり、
一般参列者は焼香後、この日は再度座席に誘導され、
出棺の見送りのお立会いを係りがお願いしているようだ。

この日も僕の友人と、会社の社長がご参列いただいていた。
感謝いたします。(-人-)

棺のフタをあけて親族最後のお別れ。

とくに父方の親族らが、ぼろぼろ泣いて、
ありがたいことやけど、兄と家族も、
そして僕も、どういうわけか涙が出ない。
辛い気分でもない。葬礼を滞りなくすすめることへの緊張感からか。
余命宣告からすでに約2年。
認知症の介護に難儀する毎日、入院中の一時瀕死の危機、
おふくろも送り出した経験ものっかって、
もう気持ちが「慣れ」ちゃってるのかもしれない。

でも、みんなにそないに惜しんでもろうて、
よかったな、親父。

出棺。ホールから階下の玄関まではコマ付の台車で
エレベータで係りの手でするする運ばれる。

霊柩車には親族の男衆の手で納められる。

喪主の兄が位牌を、僕が遺影をもって、
霊柩車、導師の車の直後のタクシーに乗車する。

遺影は祭壇のものと額の体裁が違う感じ。
祭壇の遺影は透過になってて、電飾で光らしてあったのは多分間違いない。

近くで見たら、やっぱし小さい写真引き伸ばしてるからピンボケやなぁ。
額もでかすぎるし、また僕がPhotoshopで作り直したろ。

ああ、またあの親族、斎場行きの葬列についてこないよ。(--)

斎場に向けて出発。

パラつく雨。親父はどこ行くときもほとんど雨。
週末の介護で僕が送り迎えする車の外も雨が多かったし。
甲子園でもスタメン紹介まで終わったところで突然の雨で中止。

タクシーにおふくろの義弟とその娘さんが乗ってくる。
位牌と遺影の車だから血縁の順だとか想定してたけど、
まあどーでもいいや。(^^)

霊柩車は和、洋が選択できて、和の白木はいかにも葬列っぽいので
洋のLincolnを選んだ。
かっちょええがな。要人の葬列みたいや。
親父に似合わんけど。

あれ、なんや?この割り込んきとる、このRAV4は。
どこの不届きな若もんや。

わ、お寺さんや。なんでこんな若い車乗ってるねん。(**)

葬列とはいえ、タクシーの中では
そんなこんなわりと楽しい話で盛り上がってるものなのである。

斎場到着。
かなり急な丘の、しかも細い坂道をのし上がるカンジ。

あーそういや、おふくろの姉の葬儀のときも来た。
おんなじ市の市民やったしね。

霊柩車からまた親族の男衆で台車に移されて
焼却炉の前へ。
焼却炉は1番。親父も1番なら嬉しいやろ。

炉のレールに乗せられ、遺影を立てかけ、位牌を置く。
兄の次女が花束を棺の上に置く。

1回ずつの焼香を行い、今生のお別れ。

頑張って、いってらっしゃい。

葬祭どきゅめんと。その6。

おふくろの姉妹兄妹はめっちゃ多くて、
事実、おふくろの末弟と上のほうの兄姉たちの子供が
ほとんど同い年だったりして、
僕とは従兄弟の関係にあるのだけれど、
ウチのおふくろやその妹を、「姉ちゃん」と呼んでいるひともいる。
お母ちゃん、おばちゃん、姉ちゃん、
お父ちゃん、おっちゃん、兄ちゃんをそれぞれに使い分け、聞き分ける、
なんとも複雑な一族である。

その中心的ポジションにあったのがウチのおふくろで、
およそ自分を「姉ちゃん」と呼ぶ連中を、
暮れの掻き入れ時のわがお茶屋でアルバイトさせて、戦力とし、
彼らにはお小遣い稼ぎと貴重な職業経験の機会を与え、
この一族の結束をさらに強固にするのに大きく貢献したと、
僕はそう分析している。
・・・勝手に。(^^)

一族の皆さんの思惑はどうであったかはともかく、
この皆さんの動向が、葬儀屋さんのレールにのっかって
ここまで滞りなく、何の問題もなく流れてきた葬礼に
まず最初の狂いをおこしてしまう。


兄と僕のあいだでは、実の姉妹であるおふくろの場合とは異なり、
その配偶者の親父の葬礼には、一線引いて臨んでくるだろうと
勝手に踏んでいて、通夜の後や本葬のあとの会席は
もしかしたら遠慮して帰宅されるかもしれないと思っていて、
ともかくは通夜の後の寿司桶も数少なく見積もっていた。

しかし、じつは数に入れていた親父の実弟家族が予想外に帰ってしまい、
母方の一党が全員寿司桶のテーブルを囲んだのである。

葬儀屋さんから
「ご時勢、飲酒も敬遠される傾向にあるので
喪主様からご要望されればご用意します」
と説明を受けて、テーブルにはビールの一本もなかったのだが、
兄や僕がお帰りの親族の見送りをしてるあいだに、
皆さんで自主的に注文されて、宴席がはじまってしまっていた。(^^;

そう、じつは
もてなし・酒宴は断らないのが母方一党の礼儀だったのだ。
思い返せば、これまでも確かにそうである。

少なく見積もった寿司桶は量としてギリギリか、足りなかったかもしれない。
飲みさしの日本酒の小瓶を抱えて帰る伯父もいて。(^^;


母方一党が帰途につき、通夜の一日が終わる。

一度自宅に戻って私服の兄と参列者と香典の確認をして、
予想外の食事の顛末の件を反省し、兄が帰宅。

僕が一人親族控室に残って、ホールの灯明と線香の守をする。

守といっても、灯明も廻り線香も耐久時間が十分あるし、
灯明の交換が夜間に一度だけありそうな見込みで、
葬儀屋さんにも神経質になることはないと説明を受けてはいた。

部屋は空調・冷房完璧。
最新式の浴室は自動で湯が溜まるし、清潔で快適。
コンビニも道なりに歩いて3分以内。

ただ敷布団がやたら薄っぺらくて、畳の上で寝るのは少し難。(--+

不思議なものでウトウト眠りかけていたが、
急に目覚めて、ホールに行ってみると灯明が尽きる瞬間だった。

ホールはこうこうとすべての電灯がついたまんま。
少し切って明かりを減らして、そのぶん使用料まけてくれんかなぁ。

灯明を換えて、そのあと棺の親父の顔を拝む。
悲しいわけでもない。気持ち悪いわけでもない。べつに何も感じない。

「ほな、親父。たぶん寝るわ。」

葬祭どきゅめんと。その5。

17:00、親族控室。

親父の実弟の叔父夫婦、実妹とその次女夫婦、
従姉妹ら、親父側の親族がぞくぞくと集合する。

風貌もどこか親父に似ていれば、
親父にも流れる奈良県人の血の、どうものんびりしたというか、
牧歌的というか、
メンドくさいので、はっきりいってしまえば
どこか田舎くさい雰囲気が、
・・・大阪に住まいしてる親族もいるんですけど。(--;
玄関に近い側の部屋に車座になって溜まる。

親父の病室にも見舞う回数は親父側が多かったほうで、
義姉も溶け込みやすいようだ。

30分後。

おふくろの姉妹兄妹の親族が大挙到着し、奥側の和室を占める。
っていうか、あぶれるくらい。

その多くが芦屋阪神間に住まいする、広島県人二世、三世たち。
いつもの独特の、核心を突きすぎるストレートな物言いな会話。(^^;
隣の部屋とはまったく異質な空気がただよう。

兄も、姑姉妹に義姉も、少しこちらの部屋では緊張してるカンジ。

それでも僕はどっちかというと、
神戸方面の大学に通ったせいもあるのやろか、
こっちの雰囲気のほうが楽だったりするのが不思議。

しかし確実に10年前のおふくろの葬儀のときの印象より
みーんな歳をとって老けたカンジは否めない。

・・・自分もやけど。(^^;


見たことない顔がある。
見たことがあるけど、誰かわからない顔もある。
さすがに親父が知ってても、息子にはわからん親族もいてる。

叔父に言われるまま、あるいは親父宛の年賀状を見ながら、
確かに僕らがお声掛けしたので来てくれたのだけれど、
顔までわかるかいっ。(--)

結局、ほとんど親族の香典は控室で兄に手渡しされる。
ちなみに控室には金庫が備え付けられている。

17:50、葬儀屋さんの進行係に誘導されて、親族はホールに移動。

一般席は空いてたけど、僕の友人らの姿もあり。
まだ入って3ヶ月過ぎたばかりの会社の代表もおいでになった。

ありがたいこっちゃ・・・(ToT)

昨日、大阪で自転車で走り回ってくれた親父の商売仲間もいた。
兄がそのことに簡単な礼を伝えてくれたようだ。

戒名の入った位牌が立っている。「仁」の末字がはいっている。

親父は昭和天皇と皇室が大好きだった。
かといって、右翼でもなんでもない。
昭和天皇と皇室をアイドル視した、大ファンなのである。
歴代天皇をソラで全部言えてしまう、そんな芸当すらあったのだが、
戒名に「仁」の末字をもらって、親父は親王様になってしまった。(^^;

きっと天空で小躍りして喜んでいることだろう。
タイガースのTシャツ着て。

通夜式がはじまる。

導師が入場してきた。なんかえらいお爺ちゃんな風貌のお寺さん。

経典を開くとき、閉じるとき、いちいち
「なんまん、ぅまん、ぅまん、なんまん、ぅまん、ぅまん・・・」と
つぶやくのが、妙に気になってしかたがない、おじゅっさんである。

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