Web屋、はじめました。 Feed

2013年7月23日 (火)

ひと集めて、なんかやらかしてるよ、この僕が。

こっちにも書いておくよ。

っていうのもここに書いてるからなんだけどね。

いま、奈良にかかわりあるWordPressユーザーを集めて、
WordBenchなんてのをやってます。

昔の僕を知ってるひとには衝撃的でしょ?
つきあいの悪い、宴に招待されても行かない、
わがままで孤高でやってきたこのバカタレの僕が、
自ら、人を集めてやらかしてるんだよ。

昔の職場の同期はエライさんになってるひとも少なくないけど、
僕はWeb屋さんみたいなことを、誰の上に立つでもなくやってきた。
いまだ自分の家族もない。

でも、さすがに4周りの誕生日も近くなって、
このWeb屋稼業でも、後進に何か残してやんなあかんとか、
もちろん自分でやりたいのはやまやまなんやけど、
その思いを若い子たちに任せたら、もっとすごいことやってくれる気がするのよね、
最近。

僕は大して腕もよくないけど、
でも自分が知ってることで若い子たちを導いてやるとか、
仲間をつくる機会とかは用意してあげられるくらいならできるからね。

そうすることにしたわけ。

昔から僕に、宴の誘いかけてくれる仲間に、あらためて感謝する。
すごいね。こんな手間暇してたんやね。

今度声掛けてくれたら、行くかな。

いや、でもこの歳になって、
自分にとって身になることが薄かったり、
楽しめないことはむしろもう無理しないことにしてるねん。
自分のことはね。

それと、あんまりお金ないし。

でも、そんなこんなで、いろいろやってます。

2012年5月13日 (日)

母の日。

白いカーネーションを買うようになって今年で16回目。

最近は置かない花屋さんもあって少し探し回ることになる。
いつもの僕のウンチクたれや、こだわりじゃないよ。
花屋じゃなくてもかつてはみんな知っていたこと。

おかあさんにわたしてねと、通っていた幼稚園ではみんなの赤とはちがう、
白いカーネーションを持たされて帰った子がいたものだ。

そもそもの母の日の謂われに沿っているだけ。

どうにか今年も買えた。

おかあちゃんに、合掌。

2012年3月20日 (火)

墓参り。

彼岸の中日。
墓参りしました。

墓花買うにも窮するなんてのが、
墓前に来て一番情けないことのような気がします。

安くあげた花で情けない、申し訳ないと反省するのもまた墓参りする意義かもしれません。

だいたい、早く亡くなった家族の女性を小墓というかたちで別に埋葬してきた旧家の習慣で、
父方の墓が別々に4つもあるのも問題なんですけど。

墓参りするとやっぱり父母を思い出します。
僕は甘えたでしたから。

遠からず飾りきれんほど花抱えて墓参できて、
墓もまとめられるようにがんばります。

合掌。

2011年8月13日 (土)

親鸞展、阪神百貨店でやってます。

神様仏様の「役目が終わりました」ってことになったら、

皆さんどうしますか?


科学の進歩で、不可思議の解明が行き尽くす今日さえも、
普段から自力で叶いきれない思いを神仏に託しているひとは決して少なくはないはずです。


ましてや今年のような未曾有の大災害があって、
批判は山ほどあるでしょうが、
さらに政治がまったくで機能してなくて、
その上医療もままならないなんて事態なら、

不安で不安で希望もなくなるでしょう。


じつはそんな時期が源平合戦のあった平安末期にはあったのです。

国政が乱れ、不作で食糧危機にもなり、人々が飢えや病に苦しんでも救いもない。
それは仏教が説くところの末法のとき、つまり仏の教えの有効期限が来たからだと、

そう解釈されていたのです。


そんな時代に両親と離別死別していた9歳の少年は、
煩悩なき悟りの境地を夢みて、比叡山に上がります。
しかし20年の命懸けの苦行を積むものの、煩悩を失うことはないと、
失意して山を下り、京に至ります。


そこで出会った生涯敬い続ける師・法然に出会います。
師は阿弥陀如来は身分善悪の区別なく、
人々みんなを極楽浄土へ迎えてくださる仏様であり、
ただ南無阿弥陀仏とさえ唱えれば、その約束が成されると説き、

師のもとにはいつも貴族も町衆も農民も乞食も、老若男女の人だかりができていました。

その教えには人が煩悩を抱えいても、何も問題視していないのです。

彼は師に入門し、
当時仏門にあってはご法度であった結婚もします。

師弟らは旧来の仏教派から強い迫害を受け、
朝廷にも疎まれ、流刑も経験します。

しかし彼は自らは俗人でも僧でもないと名乗り、
恩赦が成っても師の教えを流刑先の越後から、さらに関東まで伝え歩きます。


そして60になって京に帰り、師の教えを数々の仏典に照らして書にまとめ、
さらに教えを歌に変え、
町衆や農民に教えをわかりやすく、永く親しまれるかたちにまとめます。

また全国の教え子たちと文を交わし、その教えの解釈を都度都度正していくことを欠かしません。

親鸞のおかげで仏教は今日のような、誰にも身近なものになりました。

心配事、願い事、
ちょっと悪いことした思いにナンマイダするようになったのは、
法然、親鸞のおかげです。

人生に何があろうとも末には阿弥陀さまの浄土に行けるんだと、
みんなに生きる希望や勇気を見出だすように説いたのです。

死んで後の幸せを思うのはいまはきっとナンセンスだと笑うひとも多いでしょうが、

悩みや迷いがあることを恥じることはない、
約束された来世があるならばこそ、
思い切って何があろうともかするのも悪くない。

なにかと不安の多いこのご時世、
参考にしてもよいかも知れません。

2011年7月18日 (月)

山鉾巡行。

初めて観てきました。

ちょっと寝坊して、8時半を過ぎて、「辻回し」の四条河原町の交差点あたりに着いた頃には場所取りで座り込む人でぎっしりでした。

うるさいガードマンの声を聞かされながら、
このへんでいいかと、おろおろしてると、警察官らが仕切りロープを張り巡らし、
幸いその内側に入れました。
さらに立ったまま待つこと約1時間。

車道へ出て座り込んでいた人たちが警察官らの要請に抗う様子も見せられ、

突然座り込みしていた人たちが一斉に立ち上がり、詰めて列が変わったり、

横にいるおっちゃんがうちわを僕の肩横に差し入れ、変に力を入れて動かせないように踏ん張る、よーわからんこととか

いろいろあって、9:20
北西角の信号機が作業員に折り畳まれ、

通りの南側が車両通行止めになり、観客に解放され、
9:45、裃をつけた人たちに先導され、長刀鉾が現れました。

20110717_01鉾自体、はじめて見ましたが、やっぱし実物は壮観でした。
この危なっかしいバランスと、
町で護ってきた歴史と、
割竹を敷いて、角を曲がらせる腕も、おそらくそう練習できるものではないし、
町衆相伝でずっと伝えられているであろう事実に、
凄いというしかありません。

函谷鉾、月鉾の通過までは観ましたが、
気温に体温が加わる気持ち悪い暑さで限界でした。

最寄りのテナントビルは地下の駅に通じているのに、
何故か階段が無く、地下へ降りるエレベーターが1機のみで、
しかも2階以上で満員で1階を通過していくこともあり、
一度、階上行きに載って上がって降りるようなことをして、地下の駅に辿り着くのに半時かかったかも知れません。

こういうのはイラチの大阪人の僕にはかなり我慢ならん感じでした。

でも山鉾巡行は懲りても、また曜日が合うなら、次回は宵山の夜に訪れたいと思います。

皆さんも近くならいつか行けると放っておかないでいるといつまでも行けませんよ。

そのうち僕のように一緒に観たかったが親や大切なひとがいなくなる可能性はありますから。是非。

♪うちのとこにあいにきて

お正月から一度観たくて、ずっと抽選応募していたのですが、
まさか当選して初めて観るNMB48のステージが、じゃんけん予選になろうとは思いもよりませんでした。


じゃんけんトーナメント前には発売が間近な新譜など数曲が披露されました。
恒例のテーマは新人の2期生たちによるものでした。
繰り返し練習を積んだ彼女たちのステージは質の高いプロの演技です。
これを見て楽しい気分にならないひとはいないでしょう。


通常の劇場では交替のお休みやメディア出演などで出演メンバーは毎日異なるのですが、
フルメンバーが見られるじゃんけん大会は貴重な機会だったみたいです。


NMBのエース格は神戸屋のパンのシリーズにもなった(笑)、
渡辺さん、山本さん、山田さんの3人。


山本さんと山田さんは過去にメジャーデビューするところまで上り詰めた経験があり、
もともとプロ根性のある彼女たちを得たことでNMBは成功できるイメージが描けたのではないでしょうか。
他の上位メンバー teamNの面々とは存在感が別格です。


渡辺さんはアイドル好きが高じて、自らもそうなりたくてダンスレッスンに通っていた、
他のメンバー同様のアマチュアでしたが、
卓越したセンスと愛らしい見た目と性格で、
この子はAKBの前田さん同様に作為的にスターの位置が約束された存在だと思います。


女の子たちは渡辺さんを目標にするでしょうし、
将来的にはファンの支持によるアンチキャラクターが生まれるかも知れません。


ブログで熱心にファンにメッセージを送りつづけるのは、よしもとがブログ旅芸人のノウハウでも伝えたのでしょうか?
コアなファンを虜にする、地方アイドルの技を心得ているし、
人懐っこさと、奈良育ちのおっとりさはどこへ行っても敵をつくりにくい気はします。

僕もすでに心をもっていかれています。笑


この3人はこの一大ブームが過ぎ、NMBが忘れられたとしても、
関西を中心とした芸能シーンにきっと残れるでしょう。

僕はAKBには一般の人の普通の関心以上のものはありませんが、
NMBの子たちが努力でそのメジャーのステージの一角に立てて歌えるのなら、
応援してあげたいと、

そう思えたステージ観賞でした。


同席したファンのオタ男子たちですが、
僕の服についたゴミを声をかけて取りにくるとか、
優しいというか、お節介で。
とてもよいことをしているのですが、
このあたりの心のさじ加減がわからないところがオタ男子のあかんところですね。

よく知られる、AKBファンが何枚もCDを買いこみ、
足しげく全国どこのライブにも握手会目当てに駆け付けることですが、
学生は当然、独身親元社会人男子でも普通の資金力では無理に思え、不思議に思っていましたが、
話を聞いていると、

彼らにはそれぞれお目当てのメンバー、いわゆる「押しメン」がいるわけですが、
ライブ会場や劇場ショップでの買い物では、ランダム封入写真など、望まざるメンバーのグッズが手に入る機会が多い。

主催者側としては全てのメンバーを公平に扱う配慮なのでしょうけれど、
自分にとっての女神以外はどうでもよいので、
とくに人気のメンバーのものはヤフオクに出して高く売るのだそうな。

長けた奴はショップで人気メンバーのグッズを買い占め、SOLD OUTしてから出品してお金にし、
こうして軍資金は調達されるということらしい。

なるほど、おそるべしです。

学生身分のこいつら
社会人デビューしたら、どうなるんでしょうね。

そして日本国中通い詰める理由はただひとつ。
自分をその彼女に覚えてもらうこと。
会場でもわざと変なアクセントンで声援する奴さえいました。


やっぱし、そんなすごいエネルギーは絶対身近にいる素敵な女性に向けたほうがいいと思いますよね。

2011年7月16日 (土)

プロフィールを見直しました。

Facebookとプロフィールの見直しをしました。

削除した趣味などの情報をやめたとか、否定したわけではありませんので、
その方面でのお友達の皆様これからもよろしくお願いします。

人付き合いの鍵なので、これからもプロフィールはちょくちょく気にして調整していこうと思います。

2011年4月24日 (日)

スーちゃんががんで亡くなったことで思い返すこと。

おふくろのがんのときは、生きてほしいから、片っ端から情報を漁り、民間療法もたくさん試した。

でもおふくろは僕ら息子の写真をまとめたり、身の回りの整理をし、
治療はとても辛そうだった。
乳房を失い、髪も抜け、女性としては堪え難い思いもした。

がんの告知を自ら受けながら、自分の姉妹には、そうではないと言い続けて亡くなった。

親父のときは、認知症の進行が平行していて、
がんであることは伝えられなかった。

病院には本人が辛くならないようになる処置だけを求めて、最期を看取った。

ただ認知症の親父は自分が迷惑をかけることが嫌で、間違いをくりかえすと、

お迎えが来てくれたら、いつでも行く

と口癖のように嘆いていたが、亡くなる間際の病床で

死にたくない

とつぶやいたことが忘れられない。

両親へのそれぞれの対応のどちらが正しかったのか、結局はよくわからない。

正直なところ当時の家族の経済力もあれば、
介護に対する辟易もあり、本人の思いだけの判断ではなかったことも否めない。

医療が進歩してもいまなおがんは不治の病。
薬で治らないのは、むしろ「老化」だと考えるべきだとさえ思う。

スーちゃんとその家族はどんなふうに彼女を最後の時間を送ったのだろう。

2011年4月20日 (水)

やせました。

職場でも毎日顔合わしてるうえに、
冬服着込んでる間だったので、誰にも気づいてもらえません。

でもお腹のかたちがあきらかにかわりました。

健康診断の院長先生、怒ってくださってありがとう。
ピラティスの先生の倫ちゃん、適切な運動をおしえてくれてありがとう。

この先、サボらないように
こうやって書いて残しとく。

2011年3月27日 (日)

震災について思うこと、徒然。

東のほうで震災が起きてから、商売気を出したり、面白いことを言ってはいけないような雰囲気はかんべんしてほしいものだ。
それがいろんなビジネスにも影響がでているようだ。

関西は何もなかったのだし、
ここ関西で関西人どうしもなんでそんな何もかも粛清せなならんのやろか。

原因は東京方面が被災して、ネットキー局である在京TV局が粛清ムードをなにもかも全国発信する格好になっているからだ。

神戸の震災の時は「地方扱い」にして情報バラエティで、しょうもないジングルつけてゴシップで紹介したくせに、勝手な話である。

今回の震災まで首都圏の景気の良さに対して、関西は地盤沈下状態だったけど、
首都圏側が凹んだ雰囲気になったからといて、それまで関西が付き合わされるのはなんやねんって感じ。

東のほうの状況を知るか、って言いたいわけではない。
してやれることはする。
でも西のもんがどうもでけへんことをずっと下向いて陰気にしてたって仕方がない。

西が凹んでて東を元気にすることなんかでけへんわ。

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計画停電やら震災の影響による操業困難でいくつかの企業が本社機能を大阪方面に移しつつある。
東京一極集中や関西経済の状況は変わるかもしれない。
首都機能分散はもう何年も何十年も論議されているけれど。

政府は東京に足止めさせるために法人税を下げたりするだろうか。

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セリーグ開幕日をめぐるナベツネ爺と讀賣一味のゴリ押しと居直り。
「地域重視」のJリーグのチーム名称をめぐってナベツネ爺と川淵さんが大喧嘩したことを思い出す。

日体協の傘下にない相撲と野球は人気に胡坐をかいてどうしようもない。
しかしながら相撲とは逆にプロ野球の上層には選手OBの入閣を是が非でも希望する。

「4.12開幕で南球団社長も納得」などとデイリーがゴマスリなのか、
阪神は最初から当初の理事会の決定に反対だったかのように書いている。

讀賣がゴネて、政府に咎められてシュンとするのは阪神ファンには面白くてたまらないかもしれないが、
阪神球団も讀賣の言うことに逆らえなかったのだ。

星野の仙ちゃんが阪神のシニア・ディレクターだったのは、
日本野球界において阪神の名籍こそが讀賣に同等でモノが言えると思ったからだろう。

1950年にパリーグにともに所属する他の関西電鉄系球団との「約束」を
社長とオーナーの二枚舌で反古にして讀賣について行った、
超法規作戦に参加して江川を引き渡したダーティな過去をもつ阪神。
チーム創設の行きさつに讀賣の助言あったればこそがそんなにいまでも大事か。

ファンとしては新井の涙より、理事会の決議で阪神球団が翻意を示す姿が見たかった。

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